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- 2018/7/20 16:30:00
次の(a)、(b)に適切な接続表現を選べ。

  契約によって権利と義務をあらかじめきちんとしておくという慣行は、日本ではまだ確立していないように思われる。「知っている人の紹介で、信用おける話だったので、まさか、こんなことになるとも思わず、契約書もとらなかった」などといって、後になってなげく例は数多い。
  (a){そして/しかし/ただし}、人は契約を結ぶときには、紛争が起きるであろうことを予測しているわけではない。あらかじめ紛争が予見できるくらいならば、そのような契約はもともと結ばないものである。つまり、こういうことである。契約を結ぶということは、それ自体、つねに相手方を信用することであり、「まさかそんなことはない」と思うことなのである。(b){そして/しかし/ただし}、まさに権利の行使が問題になるときは、つねに、その「まさか」という信用が裏切られたときのことなのである。だから、契約の内容をきちんとした上で、契約書をかわすことは、権利を大切にする社会では、しごく当たりまえのことである。









解答: (a)しかし (b)そして

(解説) (a)の前と後の内容を検討してみれば「そして」「しかし」「ただし」のうちどの接続詞が来るべきかわかる。

(a)の前の内容
(1) 日本では相手を信用しているときは契約を結ばない。
(a)の後の内容
(2) そもそも契約を結ぶということは相手を信用することだ。

契約と信用の関係は(1)と(2)では対立する。両者は「しかし」で接続される。

(b)の前の内容
(2) そもそも契約を結ぶということは相手を信用することだ。
(b)の後の内容
(3) 信用が裏切られた時、契約書が重要になる。

契約は相手を信用して結ぶわけだが、結んだ後で信用が裏切られたらどうするかということを述べているのが(3)である。契約を結ぶことの追加説明と解釈できるだろう。よって選ぶべき接続詞は「そして」でなければならない
- 2018/7/20 16:34:00
次の①~⑦を、この順番で、〔  〕内に示された接続表現を各一回ずつ用いて、一連の文章にまとめよ。ただし、内容を変えない程度に文は適当に変更してよい。

〔しかし、すなわち、そして、だから、ただし、たとえば、なぜなら〕

① 論理トレーニングで大事なのは論理的な文章を数多く読むこと。
② さまざまな接続表現に注意することである。
③ 論理とは言葉と言葉の関係にほかならないが、それを明示するのが接続表現である。
④ 「しかし」という接続詞は多くの場合「転換」を示している。
⑤ 「しかし」の前後で主張の方向が変化している可能性が高い。
⑥ 議論の方向を見失わないためには、「しかし」という接続詞に注意することが必要となる。
⑦ ときに接続表現は省略されるので、その場合には自分でそれを補って読まねばならない。







解答: 
①論理トレーニングで大事なのは論理的な文章を数多く読むことである。
そして、②さまざまな接続表現に注意することである。
なぜなら、③論理とは言葉と言葉の関係にほかならないが、それを明示するのが接続表現だからである。
たとえば、④「しかし」という接続詞は多くの場合「転換」を示している。
すなわち、⑤「しかし」の前後で主張の方向が変化している可能性が高い。
だから、⑥議論の方向を見失わないためには、「しかし」という接続詞に注意することが必要となる。
ただし、⑦ときに接続表現は省略されるので、その場合には自分でそれを補って読まねばならない。

(解説)
まず解答するために①~⑦までを読んで要旨をつかむことが必要である。そして、語の調子で選ぶのではなくそれを選ぶ理由を考えて、つまり論理的に考えて選択する必要がある。
要旨は①と②である。③は②の根拠として提示している。④~⑥は具体例、⑦は②~⑥の内容のただし書き的補足である。初めに主張を述べそれから詳述していくという英文によく見られる論じ方である。これだけつかめれば選ぶべき接続詞はほぼ決まったようなものである。
①と②の間に来る接続詞は両者がセットになっている主張なのだから「そして」
②と③の間に来るのは、②が主張、③がその理由であるから「なぜなら」
③と④の間に来るのは、③の例示が④だから「たとえば」
④と⑤の間に来るのは、④の言い換えが⑤だから「すなわち」
⑤と⑥の間に来るのは、(④、⑤)の帰結が⑥だから「だから」
⑥と⑦の間に来るのは、(②~⑥)の補足が⑦だから「ただし」となる。
⑥と⑦の間は語調からなんとなく「しかし」でもよさそうに思うが、この問題文自身が説明しているように「しかし」は(主張の)「転換」を示す。
⑦はそれまでの主張を転換しているわけではない。例外的場合を補足しているのだから「ただし」が最適である。
- 2018/7/20 16:38:00
適切な接続表現を選べ。

ディズニー作品のなかでは、擬人化された動物たちは、すべて白い手ぶくろをつけていなければならない。ミッキーもミニーも、犬のグーフィーも、牝牛のクララベルも、悪役の義足のピートも、みな白い手ぶくろをはめている。
A.しかし/B.ただし}、ミッキーが飼っている犬のプルートーなど、擬人化されないで、そのままものをいわない動物として登場するときには、その必要はない。その場合の動物は動物なのであって、言葉も話さないかわりに、靴もはかず、服を着ることもない。すなわち、ディズニー世界にあっては、動物たちが昇格して人間化する条件としては、白い手ぶくろが不可欠なのである。かくして、ミッキーマウスは、入浴中でも海で泳ぐときでも、手ぶくろを脱ぐことはない。





解答 :「ただし
(解説) 
選択肢「しかし/ただし」の前にある文と後の文の主旨をみてみよう。
前 (1)擬人化された動物は白い手ぶくろをしている
後 (2)擬人化されない動物は白い手ぶくろをしていない
「しかし」は前に言ったことと反対のこと、あるいは対比されることを述べるときに使う。言いたいことは「しかし」の後にくる。「ただし」も反対・対比されるようなこと言う場合に使うという意味では「しかし」と同様である。だが「ただし」は例外的な補足を付け足す場合に使う。主眼は「ただし」の前に述べたことに置かれている。この点が「しかし」と異なる。
問題文の内容の主眼は「ディズニー世界では白い手ぶくろが不可欠である」ということだから、選択肢欄の後の「ミッキーが飼っている…」から「…服を着ることもない」までは補足説明だと解釈できる。よって答えは「ただし」となる。
- 2018/7/20 16:56:00
アマチュア(amateur)とは、ラテン語のamator(「愛する人」「愛好者」の意)から生まれた言葉で、現在では世界の共通語として用いられている。(a){しかし/ただし}、イタリア語のアマトーレは、発音の上で「種牛(のような男性)が好き」という意味にもとれるので、イタリアでは、ディレッタンテという言葉が一般的に用いられている。(b){しかし/ただし}、その意味するところは同じである。つまり、アマチュアとはディレッタント(好事家)のことであり、アマチュアリズムとは、一言でいうなら、「道楽」のことにほかならない。






解答: ただし、しかし
(解説)
(a)の前では一般原則(というか一般的な事実)を提示している。(a)の後から(b)の前まではどういうことを述べているか。その一般原則からはずれる例外、イタリア語の特殊事情についてである。ならばこれは但し書きであるから、最初の選択肢は「ただし」になる。
では(b)の後ではどういうことを言っているか。その例外は表面的な違いに過ぎず、本質的には「同じ」だと述べている。「例外はある。しかし、本質は同じ」ということを言っている。例外はある、「しかし」それによって一般法則が否定されるわけではないと言っている。接続表現は「しかし」である。
① 一般法則は~である。「ただし」、②例外はある。「しかし」、③一般法則が否定されるわけではない。こういう構造になっている。
- 2018/7/20 17:01:00
次の(a)―(c)に適切な接続表現を選べ。
私たちの日常的な推論は、抽象的で一般的な形式に沿って行われるのではなく、領域固有性をもっている。(a){しかも/だから/つまり}、それぞれの領域ごとの知識を使って、前提を解釈したり、推論を補ったりする。そのために、領域が違うと形式上まったく異なる推論をすることがよくある。そしてまた、ある一定の推論形式を訓練したとしても、なかなか他の領域でそれが使えるようにはならないのである。(b){たとえば/しかし/ただし}、医者が病気を診断するのと、車の修理工が故障の原因を見つけるのは、形式上同じ推論と言える。(c){しかも/しかし/ただし}、医者が車の故障を調べるときは、おかしな推論をしてしまったりする。




解答:a「つまり 」b「たとえば」 c「しかし

(解説) このような選択肢のある問題では、どれかを入れてその前後を読み直してみるということをついしがちだがそれは無意味である。ここでは論理力をトレーニングしているわけだから、答えを出すことではなく、どれが来るべきかを徹底的に考えるようにしたほうが訓練になる。
(a)の問題
(a)の前の文
(ア) 「私たちの日常的な推論は、抽象的で一般的な形式に沿って行われるのではなく、領域固有性をもっている」
(a)の後の文
(イ) 「それぞれの領域ごとの知識を使って、前提を解釈したり、推論を補ったりする」
がどのような関係かを考えてみる。(イ)では(ア)でいう(推論の)「領域固有性」とは何かをもう少しわかりやすく説明していることがわかる。したがって(a)は「つまり」という接続表現である。
(b)の問題
(b)までは一般論を述べていた。今度は医者と車の修理工の話になる。一般論を具体的な例で説明しようとしていることがわかる。(b)の選択は「たとえば」である。
(c)の問題
医者と修理工の例えのなかでの記述である。
(c)の前:医者も修理工も病気や故障の原因を追究するのに同じ推論をする。
(c)の後:医者は車の故障に関して間違った推論をしたりする。
(だから、「私たちの日常的な推論は…領域固有性をもっている」と言いたいのだ」。選択は「ただし」か「しかし」になるが、但し書きではなく、本流の主張であるから、「ただし」ではなく「しかし」である。
- 2018/7/20 17:08:00
適切な接続表現を選べ。
たとえば、私がパリの知人たちとおしゃべりをする際、よく「あなたの生れた高知というのは、東京からどのくらいの距離のところにあるのか」とか、「その高知にはどれくらいの人が住んでいるのか」とか、具体的な数値をたずねられることが多いが、これは私たち日本人がもっとも苦手とする質問なのではあるまいか。
なるほど、東京での「けっこう広い宅地」が50坪程度であったりすることはビバリーヒルズの住人には予測しようもあるまいし、「かなりの混雑」が東京のラッシュ時の殺人的な電車のものであることなど、サハラの遊牧民にとっては想像を絶してもいるだろう。(a){したがって/しかし/むしろ}、人種の坩堝(るつぼ)であるパリでは、数値にたよるしかないのが当然であるということとともに、逆にまた、日本がいかに横並びの均質な社会となり、ビバリーヒルズをもサハラをも想像しえない所となってしまっているかということにも、私たちは気づかねばなるまい。(b){つまり/しかも/しかし}、私たちは、多くの場合、仲間内で理解しあうたぐいの言葉しか持ちあわせていないため、外部の人々に対するあいまいさをかもし出しているのである。





解答: (a)したがって (b)つまり
(解説) 
  (a)について。第2段落の「なるほど」から「想像を絶してもいるだろう」まではどういうことを述べているのだろうか。それまではパリのことを述べていて、今度は東京のことだ。しかしこれは単なる対比ではなさそうだ。東京での言葉、たとえば「けっこう広い宅地」を仮想的にビバリーヒルズやサハラ出身の人たちが混在する場所に置いてみているのだ。するとそのような言葉は意図どおりには理解されないだろうと筆者は言っているのである。「だから」人種の坩堝であるパリでは具体的数字に頼らざるを得ないのだし、東京は均質社会になっている、と言っているのである。(a)の選択肢には「だから」はないので、同様の意味の「したがって」となる。
  (b)について。
問題は(b)後の文章の「わたしたち」が誰を指しているかである。これは日本人だけのことではない。世界中の人々のことだ。その誰もが「仲間内で理解しあうたぐいの言葉しか持ち合わせていない」ために、人種の坩堝であるパリでは具体的な数値に頼ろうとし、均質な東京ではそれさえも気づかないでいる、と述べているのだ。()以後の文は、文章全体を総括していると解釈できる。よって選択は「つまり」である。
- 2018/7/23 16:30:00
次の(a)、(b)に適切な接続表現を選べ。
  当時イギリスでは長いチョッキを着ることが流行し、従来のペンダント・ウォッチはチョッキのポケットに鎖でつないで納められることとなった。ポケットに納める懐中時計にはあえて綺麗な装飾を施しても、人目につかなければ衒示(げんじ)的な意味はない。(a){だから/しかし/そして}、イギリスの懐中時計はますます装飾性がうすれ、十七世紀末葉以降実用本位のものになってゆく。(b){ただし/そして/つまり}、十八世紀になると、イギリスはフランス、スイスを抑え、ヨーロッパ最大の時計の製造国となるのである。




解答
(a)「だから
(b)「そして

解説:
(a)の前の主張 
(ア) ポケットに納める懐中時計に装飾を施しても、それを人に見せびらかすことはできない。
(a)の後の主張
(イ) 懐中時計は装飾性がうすれ、やがて実用本位になっていく。
なぜ(イ)なのかと問えば、(ア)だからであることがわかる。(ア)だから(イ)であるという論理である。なぜ(ア)なのか(なぜポケットに納められようになったのか)が(イ)で示されるなら、(イ)だから(ア)という論理である。ここでは、なぜ(ア)なのかは冒頭で示されている。チョッキが流行したから懐中時計はポケットに納められるようになり、ポケットに納められるようになったから装飾性がうすれたという理屈である。
<AだからB。BだからC>という論理の流れになっている。

(b)の前の主張
(イ) 懐中時計は装飾性がうすれ、やがて実用本位になっていく。
(b)の後の主張
(ウ) その後イギリスはヨーロッパ最大の時計製造国になる。
(イ)と(ウ)は同じことでもなく、相反することでもない。だから「ただし」や「つまり」ではない。両者の間に論理的関連性は認められない。二つの事実が論理的に関係付けられずに記述されているだけである。よって「そして」。
- 2018/7/23 16:33:00
空欄(a)、(b)に適切な接続表現を選べ。
この数年、CDが立て続けに500万枚前後のセールスを記録するようになった。(a){ただし/たとえば/しかも}、GLAYのベスト・アルバムは昨年[1998年]460万枚を売り上げて以来、次々とベストアルバムがリリースされ、B'zのそれは二枚連続で500万枚売れたという。(b){ただし/しかし/しかも}、その記録はあっさりと新人の宇多田ヒカルが塗り替えた。にもかかわらず、そんなとてつもない大量現象が起きたという熱気が社会にも広がっているという印象は薄い。要するに、一部の人たちだけで大量消費が起きているのである。以前ならばメガヒットは広い層に浸透しなければ起きなかっただけに、隔世の感がある。



解答:
(a) 「たとえば
(b) 「しかも

解説:
(a)の前
CDの500万枚前後のセールス記録
(a)の後
GLAYのベストアルバム460万枚、B'zのベストアルバム500万枚
両者を比べてみれば、明らかに後者は前者の具体だとわかる。
逆に言えば、後者を少し抽象化したものが前者である。

(b)は(a)に比べてずっと難しい。近視眼的に考えると「しかし」を選びかねない。GLAY、B'zのCDはそれぞれ、460万枚、500万枚売れた。しかし、その記録は宇多田ヒカルにあっさり抜かれた、というようにである。文章全体を俯瞰してみる必要がある。
  GLAY、B'zの話は具体例として取り上げられている。筆者が言いたいのは、ここ数年でCDがミリオンセラーを連発しているということである。宇多田ヒカルの例もその主張を補強するために言及されている。GLAYやB'zと宇多田を対比しているのではない。
しかも」を選ぶべきである
- 2018/7/25 10:03:00
次の(1)と同じ意味の文はA、B、Cのどれか。

  月曜日が祝日ならば、翌日の火曜が休館になる……(1)

(A) 火曜が休館ならば、前日の月曜は祝日だ
(B) 月曜が祝日でないならば、翌日の火曜は休館ではない
(C) 火曜が休館でないならば、前日の月曜は祝日ではない





解答:C

解説:
「月曜が祝日ならば、翌日の火曜が休館になる」とあると、つい、月曜が祝日であることと翌日の火曜が休館であることは同じことだと思ってしまうがそうではない。両項がイコールならば(1)と(A)(B)(C)はすべて同じ意味である。だが、両項は等号関係ではない。少なくとも月曜が祝日の場合には、翌日の火曜は休館になるという意味である。火曜日が休館だからといって、必ず前日の月曜日が祝日とは限らない。例えば、改修工事で火曜が休館ということもありうる。したがって、(A)は×。
「月曜が祝日ならば、翌日の火曜日が休館になる」という文は、月曜が祝日でない場合、翌日の火曜日がどうなるかについて何も述べていない。よって、(B)「月曜が祝日でないならば、翌日の火曜は休館ではない」は×。
(1)の内容は、月曜が祝日ならば、必ず翌日の火曜は休館であるということである。ということは、火曜が休館であることなしに月曜が祝日であることはできない。つまり、火曜が休館でないならば月曜は祝日ではない。これが(C)である。
mikhop - 2022/7/30 14:14:00
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