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阿Q正传

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第一章 序

  私が阿Qのために正伝を書こうという気になったのは、もう一年や二年のことではない。しかし、書こう書こうと思いながら、つい気が迷うのである。それというのも、私が『その言を後世に伝うる」底の人ではないからである。なぜと言うに、昔から不朽の筆は不朽の人を伝すべきものと決まっている。さればこそ人は文によって伝わり、文は人によって伝わる‥‥‥というわけだが、そうなるといったい誰が誰によって伝わるのかが、だんだん分からなくなってくる。そしてしまいに、私が阿Qの伝を書く気になったことに思い至ると、なんだか自分が物の怪につかれているような気がするのである。
  しかしともかく、この不朽ならぬ速朽の文章を書くことに決めて、筆をとったのであるが、筆をとってみると、たちまち、いろいろの困難にぶつかった。第一は、文章の名目ということである。孔子は「名正しからざれば言順(したが)わず」と言っている。これはむろん、きわめて注意を要する点だ。伝の名目はすこぶる多い。列伝、自伝、内伝、外伝、別伝、家伝、小伝‥‥‥だが惜しいかな、どれもぴったりしない。「列伝」とすればどうか。この文章は、多くのえらい人たちと一緒に「正史」の中に並べられるわけではない。「自伝」はどうか。私自身は阿Qではないのだ。「外伝」といえば「内伝」がなければならぬし、では「内伝」としようにも、阿Qは決して神仙ではないのだ。「別伝」はどうか。阿Qは、まだ大総統から国士館へ「本伝」を立てろという告論が下ってはいない‥‥‥むろん、英国の正史に「博徒列伝」がないにもかかわらず、文豪ディッケンズは「博徒別伝」なる書物を著したというような例はあるが、これは文豪だからかまわないので、私などにまねのできることではない。次は「家伝」だが、私は阿Qと同族であるかどうか知らぬし、彼の子孫から依頼を受けてもいない。また「小伝」にしても、阿Qにほかに「大伝」があるわけではない。これを要するに、この一偏はやはり「本伝」というべきであろうが、私の文章の観点からすれば、文体が下卑ていて「車引きや行商人」の文章だから、とても「本伝」などと
口幅たいことは言えない。そこで三教九流の仲間にも入れてもらえぬ小説家(注)の使う「閑話はさておき正伝にかえりまして」という決り文句の中から「正伝」の二字を引き出してきて題目とする次第である。これも古人の撰する「書法正伝」の「正伝」と字づらがまぎらわしいきらいはあるが、そこまで気を使ってはおれぬのである。
  第二に、伝を立てる場合は、通常、最初に「某、字(あざな)は某、某地の人なり」とすべきだが、私は、阿Qの姓が何というか実は知らぬのである。一度彼の姓は趙らしくみえたことがあったが、もうその翌日には怪しくなった。それは、趙旦那の息子が秀才の試験に合格したときのことである。その知らせが、鉦(かね)をガンガンたたいて、村へやって来たとき、おりから黄酒を二、三杯ひっかけていた阿Qは、踊りあがって喜んだ。おかげで自分まで鼻が高い、と彼は言うのである。なぜならば、彼はもともと趙旦那とは同族であって、しかも仔細に系図をたどれば、彼の方が秀才より三代上に当たるはずだから。その場にいてこの話を聞いた連中は、ひそかに舌を巻いて、少なからず畏敬の念を抱いたものである。ところが翌日になると、組頭が来て阿Qを趙旦那のところへ引っ張っていった。旦那は、阿Qの顔を見るなり、満面に朱を注いで怒鳴った。
「阿Q、この極道者め。俺がお前と同族だなどと、お前言ったのか」
  阿Qは口を開かなかった。
  趙旦那はますますいきり立って、二、三歩前へ踏み出して「でたらめをぬかすな。俺に、お前みたいな同族が、あってたまるか。お前が趙なものか」
  阿Qは口を開かずに、後へ引こうとした。趙旦那は飛びかかって、平手打ちを食らわせた。
  「お前が趙であってたまるか‥‥‥お前みたいな奴が、どこを押せば趙と言えるんだ」
  阿Qは、自分の姓が確かに趙であるとは一言も抗弁しなかった。左頬をさすりながら、組頭に連れられて退出しただけであった。外へ出てから、組頭にも油をしぼられて、心付けを二百文ふんだくられた。その噂を聞いた連中は、口々に、阿Qはあまりでたらめなことを言うから、自分から殴られるような目に会うのだ。彼はおそらく趙という姓ではあるまい、たといほんとうは趙という姓であったにしろ、れっきとした趙旦那がいられるかぎり、めったなことは口に出して言うものではない、と評しあった。それから後は、もう誰も彼の氏素性を問題にするものはなくなってしまった。で、私も結局、阿Qがなんという姓であるか分からずにしまったのである。
  第三に、阿Qの名はどう書くかも、私には分かっていない。生きていた頃は、人々はみな阿Queiと呼んでいた。死んでからは、もう阿Queiの名を口にするものさえいなくなった。いわんや「竹帛に著す」などという特志家があるわけはない。もし「竹帛に著す」ということを言うならば、この文章がそもそもの最初であろう。そこで発端にこの難関にぶつかったわけである。かつて、私は、いろいろ考えて見た。阿Queiというのは「阿桂」だろうか、それとも「阿貴」だろうか。もし彼に「月亭」という字があるとか、八月に誕生祝をやったことがあるとすれば、疑いもなく「阿桂」のはずだ。しかし、彼には字はないし‥‥‥実際はあるのかもしれない。ただ、誰も知らないだけかもしれないが‥‥‥また、誕生日に名士の賀文を乞う廻状を配ったこともない。「阿桂」と書くのは独断である。もしまた彼に「阿富」と呼ぶ令兄か令弟があったとすれば、疑いもなく「阿貴」の方である。ところが彼は、一人っきりであるから、「阿貴」と書くのも、証拠がない。そのほかのQueiと発音する難しい字では、なおさらぴったりしない。以前に私は、趙旦那の息子の秀才先生に問い合わせて見た。ところが驚くことに、この物識りの先生でさえ、皆目見当がつかなかった。ただ、そのときの結論によると、陳独秀が「新青年」を発行して西洋文学を提唱したために、国粋が滅んで、調べがつかなくなった、ということであった。私は、最後の手段として、ある同郷の友人に頼んで、阿Queiの犯罪調書を調べてもらうことにした。八ヶ月たってやっと返事がきたが、調書の中には阿Queiに似た発音の人間はいないということであった。実際にないのか、それとも調べなかったのか、どちらともはっきりしないが、ともかく、これで手がかりはなくなったわけである。おそらく注音符号(一種のカナ)はまだ一般に通用しまいから、やむを得ず「西洋文字」を用い、英国流の綴り方で阿Queiと書き、略して阿Qとする。どうも「新青年」に追従する様で、我ながら感服せぬが、しかし秀才先生さえ知らぬものを、私に何の方法があろう。
  第四は、阿Qの出身地である。もし彼の姓が趙なら、郡中の名家を称したがる当今のしきたりに従って「郡名百家姓」の注解通りに「隴西天水の人なり」としていいわけである。ただ惜しいかな、この姓があてにならぬので、それで出身地も即断は出来かねる。彼は未荘に長く住んではいたが、しょっちゅうほかへも行っていたから、未荘の人であるとも言えない。だから「未荘の人なり」とするのは、やはり史法にもとることになる。
  私が、いささか自ら慰めうる点は、片方の「阿」の字だけは、きわめて正確なことである。これだけは断じて附会や仮借の欠点がない。どんな大家に叱正を乞うても大丈夫である。そのほかの諸点に至っては、すべて浅学のよく究明するところではない。幸い「歴史癖と考証癖」を有する胡適先生の門人たちが、将来あるいは数多くの新事実を発見されんことを希望するだけである。もっとも、私のこの「阿Q正伝」は、その頃には消滅しているかも知れない。
  以上、これで序文ということに願いたい。

  第二章 勝利の記録

  阿Qは、姓名や出身地がはっきりしないばかりでなく、以前の「行状」さえはっきりしていない。未荘の人々の阿Qに対する関係は、仕事に雇うことと、からかうこととに限られていたから、彼の「行状」などに注意を払うことはなかった。また阿Q自身も、口にしたことがなかった。たまに、ほかのものと口論するときなどに、目をむいて、こんな風に言うくらいであった。
  「おいら、昔は‥‥‥おめえなんかより、ずっと偉かったんだぞ。おめえなんか、なんだい」
  阿Qには家がなかった。未荘の地蔵堂の中に住んでいた。一定の職業もなかった。日雇に雇われて回り、麦を刈れと言われれば麦を刈るし、米をつけといわれれば米をつくし、舟をこげと言われれば舟をこいだ。仕事が長引くときは、その時々の主人の家に寝泊りすることもあったが、終わればすぐ帰された。それゆえ、人々は忙しくなると阿Qを思い出したが、その思い出すのは仕事をさせることで、「行状」のことではなかった。ひまになると、阿Qそのものさえ忘れてしまうから、まして「行状」どころではない。たった一度、ある老人が「阿Qはよく働く」とほめたことがあった。そのとき阿Qは、上半身裸で、のっそりと、その人の前に突っ立っていた。この言葉が本気で言われたものか、それとも皮肉なのか、他のものには見当がつかなかった。しかし、阿Qは、大満足であった。
  阿Qはまた、自尊心が強かった。未荘の住民どもは、一人として彼の眼中になかった。はなはだしきは、二人の「文童」に対してさえ、彼は歯牙にかけぬ風のところがあった。そもそも「文童」とは、将来おそらくは秀才に変ずべきものである。趙旦那と銭旦那が住民の深い尊敬を受けているのも、金持ちであること以外に、文童の父親であるのがその原因である。しかるに阿Qだけは、精神的にとくに尊敬を払う態度を示さなかった。おいらのせがれならもっと偉くなるさ、と彼は考えていたのである。加うるに彼は、城内へも何回か行っているので、自尊心の強くなるのも当然であった。しかし一方、城内の連中をも彼は軽蔑していた。例えば、長さ三尺幅三寸の板でできた腰掛を、未荘では「長とん(ちゃんとん)」と呼んでおり、彼も「長とん(ちゃんとん)」と呼んだが、城内の連中は「条とん(てぃあおとん)」と呼んでいる。これはまちがっている、おかしな話だ、と彼は考えた。鯛(たい)のから揚げに、未荘では長さ五厘ほどの葱を添えるが、城内では葱のみじん切りを添える。これもまちがっている、おかしな話だ、と彼は考えた。ところで未荘の奴らは、世間知らずのおかしな田舎ものときているから、城内の魚のから揚げさえ見てやしないのだ。
  阿Qは「むかしは偉かった」し、見識も高いし、しかも「よく働く」から、本来なら「完璧な人物」と称して差し支えないほどであるが、惜しいことに、彼には体質上に若干の欠点があった。第一の悩みの種は、彼の頭の皮膚が数カ所、いつからともなく、おできのために禿げていることである。これも彼の体の一部には違いないが、阿Qの意見では、こればかりは自慢にならぬらしかった。その証拠には、彼は「禿」という言葉、および一切の「禿」に近い発音が嫌いであった。後になると、それが次第に広がって「光る」も禁物、「明るい」も禁物になった。さらに後になると「ランプ」や「蟷螂」まで禁物になった。その禁を犯すものがあると、故意であろうがなかろうが、阿Qは禿まで真っ赤にして怒り出すのである。相手によって、もし口下手なやつなら罵倒するし、弱そうなやつなら突っかかっていった。ところが、どうしたことか、とかく阿Qの方がやられてしまうほうが多かった。そこで彼は、徐々に方針を変えて、多くの場合、睨み付けてやることにした。
  ところが、阿Qが睨みつけ主義を採用したとなると、未荘の暇人どもは、よけい喜んで彼をからかった。阿Qの顔さえ見れば、わざとびっくりしたふりをして、こう言うのだ。
  「ほほう、明るくなったぞ」
  阿Qは、きまって腹を立てる。彼は睨みつけてやる。
  「なんだ、ランプがあったのか」彼らは一向平気である。
  阿Qは困って、別の仕返しの文句を探さなければならない。
  「おめえなんかには‥‥‥」彼は、彼の頭上にあるのは高尚な、立派な禿であって、当たり前の禿でないことを考えていたのである。しかし、前に述べたごとく、阿Qは見識が高いから、それを言い出すと「禁忌」に触れることを早くも見て取って、それきり言葉を途切らせたのである。
  ところが相手は、それで止めずに、なおもからんできた。とうとう殴り合いになった。阿Qは形式的には負けた。赤毛の辮髪をつかまえられて、壁へコツンコツンと頭をぶつけられた。相手はそれでやっと満足して、意気揚々と引き上げる。阿Qは、しばらく立って考えていた。「せがれにやられたようなものだ。今の世の中はさかさまだ‥‥‥」と彼はひそかに思った。そこで彼は満足して、意気揚々と引き上げた。
  阿Qは、心に考えていることを、後にはいつも口に出していってしまう。そこで、阿Qをからかう連中の全部に、彼のこの精神的勝利法の存在が知られてしまった。それからは、彼の赤毛の辮髪を引っ張るときは、あらかじめこう宣告するようになった。
「阿Q、これはせがれが親を殴るんじゃないぞ。人間様が畜生を殴るんだぞ。自分で言ってみろ、人間様が畜生を殴るんだと」
  阿Qは、両手で辮髪の根元を押さえて、頭をゆがめて言った。
「虫けらを殴るんさ。これでいいだろう。おいら、虫けらさ‥‥‥もう放してくれ」
  たとい虫けらであろうと、相手は容易に放してはくれない。今まで通り、近所に場所を見つけて、コツンコツン五、六回食らわせて、今度こそ阿Qも参ったろうと思って、初めて満足して、意気揚々と引き上げる。ところが阿Qの方でも、ものの十秒もたたずに、やはり満足して、意気揚々と引き上げる。彼は、われこそ自分を軽蔑できる第一人者なりと考えるのである。「自分を軽蔑できる」ということを省けば、残るのは「第一人者」だ。状元(科挙の最高階の試験に一番で及第した者)だって「第一人者」じゃないか。「おめえなんか、何だい」だ。
  阿Qは、かくも種々の妙計によって怨敵を征服した後、朗らかになって居酒屋へ飛び込み、ニ、三倍引っ掛け、そこでまたふざけたり言いあったりして、またも意気揚々となって、朗らかに地蔵堂へ戻ると、ごろっと大の字になって寝てしまうのである。もし金があると、彼は賭博へ行く。ひとかたまりの人間が地面に蹲っていて、阿Qは、汗みずくで、そのあいだに割り込んでいる。かけ声は彼のが一番高い。
「青竜(ちんろん)へ四百」
「そら‥‥‥開ける‥‥‥ぞっ」胴元が壷の蓋を取る。これも汗みずくでうたっている。「天門(てんめん)だ‥‥‥角は戻し、人(れん)と穿堂(ちょわんたん)はまけ‥‥‥阿Qの銭はもらったぞ‥‥‥」
「穿堂へ百‥‥‥百五十」
  阿Qの銅銭は、このようなうたい声のなかで、徐々に別の汗みずくの人間の懐へ流れてゆく。しまいに彼は否応なく人垣から押し出されてしまう。そして人垣の後ろで、他人の勝負を気にしながら、しまいまで見ている。それから未練そうに地蔵堂へ戻る。翌日は、瞼を腫らして仕事に出て行くのであった。
  ところが「人間万事、塞翁が馬」だ。阿Qは不幸にして一度勝った。しかし彼はほとんど失敗したのである。
  それは未荘の祭りの夜であった。その夜は吉例の芝居がかかり、舞台の付近には吉例によって野天の賭場がたくさん開かれた。芝居の鉦太鼓も、阿Qの耳には、十里も遠方のように響いた。彼には胴元のうたう声だけが聞こえていた。彼は勝ちつづけた。銅貨が小銀貨に変わり、小銀貨が大銀貨に変わり、大銀貨の山ができた。彼は有頂天であった。
「天門に二両」
  誰と誰とが、何のために喧嘩をはじめたのか、彼にはわからなかった。怒鳴る声、殴る音、足を踏み鳴らす音、無茶苦茶な混乱がしばらく続いた。ようやく彼が起き上がってみたときには、賭場もなければ、人もいなかった。体中が痛むようだ。どうやら殴られたり蹴られたりしたらしい。数人のものが、不思議そうに彼の方を見ている。魂が抜けたようになって、彼は地蔵堂へ戻った。心が落ち着くと、彼の銀貨の山が失われたことに気がついた。祭礼あてこみの賭場は、よそ者が多い。尻の持って行きどころはないのだ。
  真っ白い、キラキラ光る銀貨の山、しかも彼のものである銀貨の山‥‥‥それが失われた。せがれに持って行かれたのだ、と考えて見ても面白くない。自分は虫けらなんだ、と言ってみても、やはり面白くない。こんどばかりは、彼も失敗の苦痛を嘗めなければならなかった。
  だが、彼はたちまち、敗北を変じて勝利となすことができた。彼は右手を上げて、力いっぱい自分の横面を二つ三つ続けざまに殴りつけた。飛び上がるように痛かった。殴った後は、心が落ち着いて、殴ったのは自分であり、殴られたのは別の自分のような気がしてきた。まもなく、他人を殴ったと同じような‥‥‥痛いことはまだ痛かったが‥‥‥気持ちになった。満足して、意気揚々と彼は横になった。
  彼はぐっすり睡った。

  第三章 続勝利の記録

  しかし、阿Qは、常に勝利は占めていたものの、有名になったのは、趙旦那に殴られて以来のことである。
  彼は、組頭に二百文心付けを払って、プンプンして横になったが、そのあとで、考えた。
「いまの世の中はでたらめだ。倅が親を殴る‥‥‥」と、たちまち、趙旦那の威風堂々たる姿が目に浮かんだ。しかもその趙旦那が、今では彼の倅である。どうやら彼は得意になってきた。そして、起きあがって「若後家の墓参り」を口ずさみながら、居酒屋へ出かけていった。そのときの彼の気持ちでは、趙旦那は、人よりも一段高尚な人物であった。
  不思議なことに、それ以来、人々は彼にたいして急に特別の尊敬を払うようにみえた。阿Qとしては、それは彼が趙旦那の親父だからだと考えたかもしれないが、実際は、そうではなかった。未荘では、通常、阿七が阿八を殴ったとか、李四が張三を殴ったというようなことは、一向珍しくはない。ただ、趙旦那のような有名な人と関係のある場合にはじめて、彼らの噂にのぼるのである。ひとたび噂にのぼると、殴った方が有名な人だから、殴られた方もそれにつれて有名になる。むろん、非が阿Qの方にあることは言うまでもない。何故か。趙旦那に非のあろうはずがないからだ。では、非がありながら、なぜ人々は彼をとくべつ尊敬するのか。これは難しい問題である。つらつら考察するに、阿Qが趙旦那と同族だと称するからには、たとえ殴られたにしろ、ひょっとすると幾分ほんとうかも知れぬという疑いがあって、当たらず触らずに尊敬しておいた方が無難だという気持ちからであったかもしれない。そうでなければ、孔子廟に備えられた太牢(牛)のように、豚や羊と同じただの畜生でありながら、聖人が箸をつけられたがために、先儒たちも妄動できない、というような関係であったかもしれない。
  その後は多年、ともかく阿Qは得意であった。
  ある年の春、彼はほろ酔い機嫌で街を歩いていた。すると、陽だまりの塀ぎわで、ひげの王が肌脱ぎになって虱を取っているのがめについた。それを見ると、彼も急に体が痒くなった。このひげの王というのは、禿があるのとひげが濃いのとで、人々から「ひげの禿の王」と呼ばれていたが、阿Qだけは「禿」を抜いて呼び、しかも、非常に軽蔑していた。阿Qの意見では、禿は奇とするに足りないが、この頬から頤(おとがい)にかけてのひげだけは、実に奇妙千万で、見られたザマじゃない、というのである。そこで阿Qは、彼と並んで腰をおろした。これがほかのひま人連だと、阿Qはうかつに近寄りはしない。このひげの王だけは、そばへ寄っても怖くはなかった。むしろ、彼が腰をおろしてやったのは、相手が光栄に思っていいくらいなものである。
  阿Qも、ぼろ袷を脱いで、ひっくり返してみた。洗い立てのせいか、それとも見方がぞんざいのせいか、長いことかかって三、四匹つかまえただけであった。ひげの王はと見ると、一匹また一匹、二匹また三匹、後から後から口へ入れて、ピッピッと噛んでいる。
  最初、阿Qはがっかりした。そのうちに、癪にさわってきた。見られたザマじゃない。ひげの王でもあんなに多いのに、自分にはちっともいない。これでは面目丸つぶれだ。一、二匹でかい奴をつかまえたいと焦るが、さっぱり見つからない。やっと中くらいのを一匹つかまえて、いまいましそうに厚い唇のなかへ押し込んで、懸命に咬むと、ピッと音がしたが、ひげの王ほど高い音でなかった。
  彼は、禿のひとつひとつをまっ赤にして、着物を地面へ叩きつけるなり、ペッと唾を吐いてどなった。
「毛虫野郎め!」
「禿犬、そりゃ誰のことだ」ひげの王は、さげすむように眼をあげて言った。
  このごろでは、阿Qは、人からも尊敬もされるし、自分でもお高くとまっていたが、それでも、喧嘩ばやいひま人連の前へ出ると、おずおずしてしまう。ところが今日に限って、馬鹿に元気がよかった。こんなひげだらけの野郎に、言いたい放題を言わせておけるか。
「きくだけ、やぼよ」彼は立ちあがると、両手を腰にあてて言った。
「揉んでもらいたいのか」ひげの王も、立ちあがって、着物をきながら言った。
  阿Qは、彼が逃げるのだと思った。いきなり飛びついて、拳骨をふりあげた。その拳骨が相手へ届かぬ先に、相手の手に握られてしまった。引かれる拍子に、阿Qはよろよろとよろめいた。たちまち辮髪をひげの王につかまれ、塀のところへ連れて行かれて、例の調子でこずかれた。
「君子は口は出すが手は出さず」阿Qは、頭をゆがめて言った。
  ひげの王は君子ではないらしかった。一向構わずに、連続五回小突いて、それから力いっぱい突き飛ばしたので、阿Qは一間も前にのめらされた。ひげの王は、ようやく満足して立ち去った。
  阿Qの記憶では、おそらくこれは最近第一の屈辱事件であった。なぜならば、ひげの王は、そのひげ深いという欠点のために、これまで彼から馬鹿にされこそすれ、彼を馬鹿にしたことはなく、いわんや手出しなどしたことはなかったからである。しかるに、いまや彼に向かって手を出したのである。実に意外なことだ。まさか世間で噂するように、皇帝が科挙を廃止されて、秀才も挙人もなくなったので、それで趙家の威風が地に墜ちて、従って彼までも馬鹿にされるようになったのだろうか。
  阿Qは途方に暮れて立っていた。
  向こうから男がやってくる。阿Qの敵がまた現れたのだ。これも阿Qの大きらいなひとり、つまり銭旦那の長男である。この男は、以前、城内へ行って、西洋の学校へはいった。それから、どういうわけか、また日本へ行った。半年たって帰ってきたときには、足も西洋人のようにまっすぐになっていたし、辮髪もなくなっていた。そのため、母親は十数回泣きわめいたし、細君は三回井戸へ飛び込んだ。そのうちに、母親はこう言ってふれ廻るようになった。「あの辮髪は、悪者のために、酒で酔いつぶれたところを切られてしまったんです。えらいお役人になれるはずでしたが、今じゃ髪が伸びるまでお預けです」しかし阿Qは、その話を信用しなかった。あくまで「にせ毛唐」と呼び、また「毛唐の手先」と呼んでいた。彼に出会うと、必ず腹の中でひそかに罵倒した。
  ことに阿Qが「深刻に憎悪」したのは、カツラの辮髪であった。辮髪がカツラであるに至っては、人間としての資格がゼロである。彼の細君が四回目の飛込みをやらないのは、これもよからぬ女に違いない。
  その「にせ毛唐」が近づいてきた。
「坊主頭、驢馬(ろば)の‥‥‥」いつもなら阿Qは、腹のなかで悪口を言うだけで、口に出して言わなかったが、あいにく、むしゃくしゃの最中で、仕返しをしたくてうずうずしていた際とて、ついうっかり低い声が口から漏れてしまった。
  意外や、この「坊主頭」は、ニス塗りのステッキ‥‥‥つまり阿Qの言う葬い棒‥‥‥を携えていて、ずかずかと彼の方へ寄ってきた。その瞬間、阿Qは打たれるものと覚悟を決めた。全身の筋肉をこわばらせて、肩ばかり突き出して待っていると、案の定、パンと音がして、確かに頭をやられたような気がした。
「あいつのことなんで」阿Qは、そばにいた子供を指差して、言い訳を言った。
  パン、パン、パン!
  阿Qの記憶において、おそらくこれが最近第二の屈辱事件であった。さいわい、パンパンの音がしてからは、もう彼はそれで事件が落着したような気がして、むしろさばさばした。しかも「忘却」という祖先伝来の宝物が効果を現しはじめた。ゆっくり歩いて、居酒屋の門口まできたときには、もう彼は幾分上機嫌にさえなっていた。
  すると向こうから、静修庵の若い尼さんがやってきた。阿Qは普段でも尼さんを見ると、唾を吐きかけたくなる。まして今は屈辱事件の直後である。記憶が甦ってきて、彼は敵愾心にもえた。
  「俺は今日、どうも日が悪いと思ったら、やっぱりおまえの面を見たせいだったな」と彼は思った。
  彼は尼さんの行く手に立ちはだかって、思い切り唾を吐いた。
  「カッ、ペッ!」
  尼さんは、見向きもしないで、首を垂れたまま歩いていく。阿Qは、ずかずか歩み寄って、突然手を伸ばして、尼さんの剃りたての頭を撫でた。そして、ゲラゲラ笑いながら、
  「坊主頭、早く帰れ、和尚さんがまっとるぞ」
  「なにさ、手出しなんかして‥‥‥」尼さんは、顔じゅう赤くなって、そう言いながら足を早めた。
  居酒屋にいた連中が、どっと笑った。阿Qは、自分の手柄が賞賛を博したので、ますます意気揚揚となった。
  「和尚ならいいが、おいらが手を出しちゃいけねえかよ」彼は、尼さんの頬をつねりあげた。
  居酒屋にいた連中が、どっと笑った。阿Qは得意になり、この見物人たちに満足を与えるために、もう一度力を入れてぎゅっとつねった。そして、ようやく手を放した。
  この一戦によって、彼はひげの王のことをきれいに忘れた。にせ毛唐のことも忘れた。今日の一切の「不運」の仇を取ったような気になった。その上、不思議なことに、全身がパンパンやられたときよりも軽くなって、ふらふらして今にも舞い上がりそうな気がした。
  「跡取なしの阿Q!」遠くの方から尼さんの半分泣いている声が聞こえる。
  「ハッハッハ」阿Qは、十分の得意さをもって笑った。
  「ハッハッハ」居酒屋にいた連中も、九分の得意さをもって笑った。

  第四章 恋愛の悲劇

  一説にいう。ある種の勝利者は、敵が虎のごとく鷹のごとくなることを願い、かくてはじめて勝利の喜びを感ずる。もし羊やヒヨコのようだと、むしろ勝利の味気なさを感ずるのだ。また、ある種の勝利者は、一切のものを征服した後に、死ぬものは死に絶え、降伏するものは降伏して「臣某恐惶恐懼頓首頓首」となった暁には、彼にはもはや敵もなく、対者もなく、友もなく、自分だけが上位にいて、ただ一人、ぽつんとして、うら淋しく、取り残され、かえって勝利の悲哀を感ずるという。しかしながら、われらの阿Qは、そんな弱虫ではない。彼は永遠に得意である。これまた、中国の精神文明が世界に冠絶する証拠の一つであるかもしれない。
  見よ、彼はふらふらとなって、今にも舞い上がりそうではないか。
  ところが、今回の勝利の場合は、どうも調子が少し変であった。彼はふらふらとなって、長いあいだ飛び回って、ふらっと地蔵堂へ戻ってきた。いつもの例では、彼は横になるとすぐ鼾(いびき)をかくはずであった。それがこの晩に限って、彼は容易に寝つかれなかった。自分の親指と人差し指とが、普段と違って、妙にすべすべしていることを彼は感じたのである。いったい、尼さんの顔に何かすべすべしたものがあって、それが彼の指へ移ったのだろうか。それとも、指がすべすべになるほど尼さんの顔を撫でたせいだろうか。
  「跡取りなしの阿Q!」
  阿Qの耳に、またもこの言葉がひびいた。ちがいない、と彼は考えた。女がいなければいけない。子が、孫がなかったら、死んでから誰が飯を供えてくれるか‥‥‥女がいなければいけない。そもそも「不幸に三あり、後嗣なきを最大となす」(孟子)のに「若敖の亡者の餓死」(左伝)のようなことになってはすこぶる人生の悲惨事である。したがって、彼のこの思想は、一から十まで聖賢の経伝に合致すると見なければならない。ただ惜しむらくは、後に至って「放心を収むる能わず」(孟子)となっただけのことである。
  「女、女‥‥‥」と彼は考えた。
  「‥‥‥和尚なら手を出せる‥‥‥女、女‥‥‥女」と彼は考えつづけた。
  その晩、何時ころ阿Qが鼾(いびき)をかき出したか、われわれは知ることができない。しかしともかく、このときから彼は、指先のつるつるするのが気になり、そのたびにふらふらするようになった。
  「女‥‥‥」と彼は考え込むのであった。
  この一事をもってしても、われわれは、女が有害な存在であることを判断しうる。
  元来、中国の男は、大半が聖賢になる資格があるのだが、惜しいかな、すべて女のため失敗してしまう。商は姐己(だっき)によって亡ぼされた。周は褒じ(ほうじ)によって毒された。秦は‥‥‥歴史に名文はないがおそらく女のせいだと仮定しても全然の誤りではあるまい。そして漢の董卓は、確実に貂蝉のために殺されたのである。
  元来、阿Qは正人なのである‥‥‥われわれは、彼がどんな偉い先生の教えを受けたかは知っていないが、彼は「男女の別」については従来きわめて厳格であった。また、異端‥‥‥若い尼さんとか、にせ毛唐のような‥‥‥を排斥するという正気も、彼は十分に持ち合わせていた。彼の学説は、すべて尼というものは、必ず和尚と私通するものであり、女が一人歩きをするのは、必ず男を引っ掛けるためであり、男と女が二人で話しているのは、必ずあやしい関係がある、というのだ。従って彼は、この連中をこらしめるために、しばしば睨みつけたり、大声で「不心得を責め」たり、あるいはまた、人通りのない場所なら、背後から石をぶつけたりするのである。
  その彼が「而立」(三十歳)にも近い年になって、若い尼さんから、ふらふらになるような目にあわされてしまったのである。このふらふら精神は、礼教上許すべからざるものだ‥‥‥だからこそ、女は憎むべきものなのだ。仮に尼さんの顔が、つるつるしていなかったならば、阿Qは魂を奪われるようなことがなかったろうし、また、仮に尼さんの顔が布か何かで覆われていたら、やはり阿Qは魂を奪われなくて済んだろう‥‥‥五、六年前、彼は芝居小屋の人ごみの中で、女の尻を抓(つね)ったことがあったが、そのときはズボン越しであったから、後でふらふらにはならなかった‥‥‥が、尼さんはそうでなかった。これまた異端の憎むべきを証するものである。
  「女‥‥‥」と彼は考えた。
  彼は「必ず男をひっかけたがっている」にちがいない女に行き会うと、いつも注意してみたが、さっぱり笑いかけてこなかった。彼と話しをする女の言葉も注意して聴いてみたが、別に怪しげな事柄に触れてこなかった。ああ、これまた女の憎むべき半面ではないか。女たちは、ことごとく「猫をかぶって」いるのだ。
  その日、阿Qは、趙旦那の家で一日米つきをした。晩飯を済ませてから、台所に腰を下ろして一服つけていた。ほかの家なら、晩飯を済ませば帰ってかまわぬのだが、趙家では晩飯が早かった。普段は、燈をともすことが禁じられていて、晩飯を食い終わると寝てしまうのだが、たまにこの例外があった。一つは、息子が秀才の試験に合格するまでは、燈をともして勉強することが許されていた。もう一つは、阿Qが日雇いに雇われたときは、燈をともして米をつくことが許されていた。この例外によって、阿Qは、米つきにかかる前に、台所でまず一服吸いつけていたのである。
  趙旦那の家のただ一人の女中である呉媽が、食事の後片付けを済ませてから、これも床几(しょうぎ)に腰をかけて、阿Qに話しかけてきた。
  「奥様は二日も御飯をあがらねえだよ。旦那様が若いのを囲いなさるというので‥‥‥」
  「女‥‥‥呉媽‥‥‥この若後家‥‥‥」と阿Qは考えていた。
  「若奥様は八月に子供を産みなさるだと‥‥‥」
  「女‥‥‥」と阿Qは考えていた。
  阿Qは煙管を置いて、立ち上がった。
  「若奥様は‥‥‥」呉媽は、ごたごた言いつづけていた。
  「おめえ、おらと寝ろ、おらと寝ろ」阿Qは、急に跳びかかって、呉媽の足元にひざまずいた。
  一瞬間、ひっそりとなった。
  「ヒャア」息を呑んでいた呉媽は、突然慄え出すと、大声をあげて表へ駈け出していった。駈けながらわめいて、しまいに泣き声になったらしかった。
  阿Qも、壁に向かってひざまずいたまま、茫然となっていた。それから、両手を、人のいなくなった床几につかえて、ゆっくり立ち上がった。まずかった、という感じがぼんやりしていた。さすがに落ち着かなかった。あわてて煙管を帯にはさむと、米つきにかかろうと思った。ポンと音がして、頭に何か太いものが落ちてきた。急いで振り返ってみると、例の秀才が、天秤竹を持って彼の前に立っていた。
  「太い野郎だ‥‥‥きさまあ‥‥‥」
  天秤竹はまたも真っ向から彼に向かって振りおろされた。阿Qは両手で頭を抱えた。ポンと音がして、ちょうど指にあたった。今度はほんとに痛かった。彼は台所の入り口から転がり出た。背中にまた一撃食らったような気がした。
  「恩知らず」秀才は、標準語を使って背後から罵声を浴びせた。
  阿Qは米つき場へ駈け込んで、一人突っ立っていた。指がまだ痛んだ。「恩知らず」という文句がまだ耳に残っていた。こんな文句は未荘の田舎者からは聞いたことがない。お役所勤めをしたお偉方に限って使う文句だから、特別凄みがあって、特別印象に残った。おかげで彼の「女‥‥‥」思想は消えてしまった。しかも、怒鳴られたり殴られたりした後では、事件がそれで解決したような気がして、かえってさばさばして、すぐ米つきにかかれた。しばらくついているうちに、暑くなってきたので、彼は手を休めて上衣を脱いだ。
  上衣を脱いでいると、表の方で騒がしい物音が聞こえた。阿Qは生まれつきの野次馬だ。そこで声のする方へ行ってみた。声のする方へたずねていくうちに、次第に趙旦那のいる内庭へ来てしまった。見ると、薄暗がりに、それでも大勢集まっているのが見えた。趙家のものが全部、二日飯を食わぬ奥様まで加えて、集まっていた。その他、隣の鄒七嫂もいれば、ほんとの同族の趙白眼や趙司晨もいた。
  ちょうど、若奥様が呉媽の手を引いて、話しかけながら女中部屋から出てくるところであった。
  「こっちへおいで‥‥‥決して、自分の部屋に隠れたりして‥‥‥」
  「おまえさんが正しいことは、みんな知ってるんだからね‥‥‥決して、量見を狭くもつんでないよ」鄒七嫂も、横から口を出した。
  呉媽は泣きつづけていた。泣きながら何か言うが、はっきり聞き取れなかった。
  阿Qは考えた。「ふん、面白くなってきたぞ。この若後家、いったい、何をおっぱじめようってんだ」それを尋ねてみたくなって、彼は趙司晨のそばへ近寄った。すると突然、趙旦那が彼の方へ駈けてくるのが見えた。しかも、その手に天秤竹が握られている。その天秤竹を見ると、彼は突然、さっき自分が殴られたことが現在の騒ぎと関係がありそうだと悟った。彼は身を翻して逃げ出した。米つき場へ逃げ帰ろうとしたが、あいにく天秤竹で行く手をふさがれた。そこでまた引き返して、自然と裏門から出てしまった。そして、まもなく地蔵堂の中にいた。
  しばらくじっとしていると、皮膚がぞくぞくしてきた。寒気がするのだ。春とはいえ、夜はまだ冷えた。裸でいられるものではない。上衣が趙家においてあることは知っていたが、取りにいきたくも秀才の天秤竹がこわかった。そうしているうちに、組頭が入ってきた。
  「阿Q、このやろう、趙の邸の女中にまで手を出しやがって、謀反てもんだぞ。おかげで俺まで夜寝られやしない。こん畜生‥‥‥」
  なんのかのとお説教である。阿Qは無論一言もない。最後に、夜中だというので、組頭への祝儀は倍にして四百文払わなければならなかった。阿Qは現ナマがなかったので、帽子を質に入れた。それから、次のような五ヶ条の取り決めを行った。
  一、明日、赤蝋燭‥‥‥目方一斤のもの‥‥‥一対と香一封を持って趙家へ謝罪に行くこと。
  二、趙家では導士を招いて首吊りの厄神のお払いをするが、その費用は阿Qが負担すること。
  三、阿Qは今後絶対に趙家の敷居をまたがぬこと。
  四、呉媽に今後万一のことがあれば、すべて阿Qの責任とすること。
  五、阿Qは賃金および上衣を請求せぬこと。
  むろん、阿Qは全部承諾した。残念ながら金がなかった。さいわい、もう春であるから、布団はなくても済む。それを二千文で入質して、条約を履行した。裸で叩頭して謝罪した後で、まだ何文か銭が残った。
彼はその銭で帽子を受け出さずに、全部酒にして飲んでしまった。一方、趙家では、香も蝋燭も焚かずに、大奥様が仏事に使う用意に、蓄えたおいた。ぼろ上衣は、大部分が、若奥様が八月に生む赤ん坊のおしめに変わった。残りのぼろ屑は、呉媽の布靴の底に変わった。

  第五章 生活問題

  謝罪式が終わると、阿Qはいつものように地蔵堂へ戻った。日が暮れるにつれて、どうも世間の様子が変なことに気がついた。よくよく考えた末、なるほどと思い当たったのは、自分が裸でいるせいらしい。まだボロ袷があったことを思い出して、それを引っかぶって、ごろっと横になった。再び目を開いたときには、もう日光がいつものように西の土塀の上へ射しかけていた。彼は起き上がりながら「こん畜生‥‥‥」とつぶやいた。
  起きあがると、彼はいつものように街をぶらついてみた。裸のときのように身を切る寒さはなかったが、やはりどうも世間の様子が変なことに気がついた。この日から、未荘の女たちが急に羞かしがるように見えた。女たちは、阿Qの姿を見ると、こそこそ門の中へ隠れてしまう。はなはだしきは、五十に手の届こうという鄒七嫂までが、人といっしょになって逃げ惑い、しかも十一になる女の子まで呼び入れる始末である。阿Qは不思議でならなかった。そして、こう思った。「こいつらは、急にお嬢さんの真似をはじめやがった。このあばずれ女たちは‥‥‥」
  しかし彼が、もっともっと世間の様子が変なことに気がついたのは、だいぶ日がたってからであった。第一は、居酒屋が掛売りしなくなったこと。第二は、地蔵堂の管理の老いぼれが、彼に出て行けがしの妙な因縁をつけ始めたこと。第三は、何日になるか彼は記憶しないが、ともかく相当の日数、一人として彼を雇いにこなくなったことである。居酒屋が掛売りしないのは、我慢すれば済む。老いぼれが追い出しにかかったって、ぐずぐず言わせておくだけのことだ。ただ誰も雇いにこないのは、阿Qの腹をすかせることになる。これだけはまったく「こん畜生」に違いない事件である。
  阿Qはこらえきれなくなって、仕方なしにお得意先を聞いて廻った‥‥‥趙家の敷居だけは跨ぐことが許されていなかったが‥‥‥ところが、事情が一変していた。必ず男が出てきて、うるさいという顔で、乞食でも追い払うように、手を振って言うのであった‥‥‥
「ない、ない。出て行け」
  阿Qはますます変だと気がついた。これらの家では、今まで、いつだって仕事のないことはなかった。今のように急に仕事がなくなるわけはない。何か裏に仔細があるに違いない、と彼は考えた。注意して探ってみると、どの家でも、仕事があると小Donを雇っていることが分かった。この小Dというチンピラ野郎は、貧弱な痩せっこけで、阿Qの目から見ると、ひげの王より一段下に位している。意外にも、そのチンピラ野郎に飯茶碗をふんだくられたのである。したがって、今度の腹の立ちようは、いつもと違っていた。ぷんぷんして道を歩いていて、急に片手を振り上げて芝居の文句を歌ったりした。
「鉄の鞭をば振り上げて‥‥‥」
  数日後、ついに銭の邸の目隠し壁の前で、彼は小Dにぶつかった。「仇同士は目がさとい」阿Qが詰め寄ると、小Dの方でも立ち止まった。
「畜生!」阿Qは、睨みつけながら言った。口から唾が飛んだ。
「おいら、虫けらだよ。いいだろ‥‥‥」と小Dは言った。
  その謙遜は、かえって阿Qの怒りに油を注いだ。彼はしかし鉄の鞭を持っていなかったので、殴りつけるより仕方なかった。ぐっと手を伸ばして、小Dの辮髪を引っつかんだ。小Dは、片手で辮髪の根元を押さえながら、片手でこれも阿Qの辮髪を引っつかんだ。阿Qもまた、空いている方の手で辮髪の根元を押さえた。昔の阿Qならば、小Dなどは物の数ではないはずだ。しかし、このごろでは彼は腹が減って、小Dに劣らぬくらい貧弱に痩せている。そこで勢力伯仲の状態になった。四本の手が二個の頭を抱えて、どちらも腰を曲げて、銭家の白壁の上に青い蛇を画いた。そうして、半時間の長きに及んだ。
「もういい、もういい」と見物人が言った。仲裁するつもりだろう。
「いいぞ、いいぞ」と見物人が言った。仲裁するのか、ほめるのか、おだてるのか、わからなかった。
  しかし、二人とも聞き入れなかった。阿Qが三歩進むと、小Dは三歩退き、双方立ち止まった。小Dが三歩進むと、阿Qは三歩退き、また双方立ち止まった。およそ半時間‥‥‥未荘には時計がないから、正確なことはわからない。二十分だったかもしれない‥‥‥二人の頭から湯気が立ち上り、額からは汗が流れた。阿Qの手はゆるんだ。ちょうど同じ瞬間に、小Dの手もゆるんだ。同時に起き直り、同時に後ろへ引き、人垣をかき分けた。
「覚えてろ、こん畜生‥‥‥」阿Qが振り向いて言った。
「こん畜生、覚えてろ‥‥‥」小Dも振り向いて言った。
  この「竜虎の戦い」の一場は、勝負なしに終わったらしい。見物人が満足したかどうかもわからない。誰もそれについて議論などしなかった。だが阿Qは、依然として日雇いの口がかからなかった。
  ある日のことである。もうすっかり暖かくて、微風も夏の気配だったが、阿Qだけは寒気がしてならなかった。しかし、これはまだいい。第一に困るのは、腹の空くことである。布団と帽子と単衣(ひとえ)とは、とっくになくなっている。次は綿入れを売った。今はズボンが残っているが、これだけは脱ぐわけにいかない。ボロ袷もあるが、布靴の底にくれてやる以外に、売ったとて金になる代物ではない。往来に金でも落ちていないかととうから気を配っていたが、まだ一度も見つからない。自分のあばら家のどこかに金が落ちていないかと思って、きょろきょろ見回すのだが、屋内はがらんどうで一目瞭然である。かくて彼は、食を求めるために外に出ようと決心した。
  彼は道を歩きながら「食を求める」つもりであった。なじみの居酒屋が眼にはいる。なじみの饅頭屋が眼にはいる。しかし、彼はどちらも通り過ぎてしまう。立ち止まりもしないし、求めようという気も起こらぬ。彼の求めるものは、そんなものではない。彼の求めるものは何であるか。彼は自分にもわからない。
  未荘はもとより大きい村ではない。少し歩くと、出はずれてしまう。村を出はずれると水田で、見渡すかぎり新稲の若緑である。その間に点々として、丸い形の、動いている黒いものは、田を耕す農夫だ。阿Qは、この田園風景を鑑賞もせずに歩きつづけた。それは彼の「食を求める」道とははるかに遠いことを彼は直感していたからである。ついに彼は「静修庵」の堀の外まで来てしまった。
  庵の周囲も水田であった。新緑のあいだに白壁が突出ていて、裏手の低い土塀の内側は野菜畑である。阿Qは、しばらくためらっていた。あたりを見まわしたが、誰もいない。そこで彼は、この低い塀によじ登って、何首烏(かしゅう)の蔓につかまった。しかし、泥はなおもぼろぼろ崩れ、阿Qの足はぶるぶる慄(ふる)えた。ようやく桑の枝に伝って内側へ飛び降りた。内側は実に青々とした茂みであった。だが、黄酒や、饅頭や、その他食えそうなものは何もないらしかった。西側の塀に沿って竹薮があり、筍が群がり生えているが、惜しいことに煮付けてない。油菜もあるが、もう種になっている。芥子菜は花が咲きかけており、春白菜はとうが立っている。
  阿Qは、ちょうど文童が落第したときのように、あてがはずれて、がっかりした。彼は畑の門の方へゆっくり歩いていった。と、たちまち驚喜の声を発した。そこには歴然と、大根畑があるではないか。彼はうずくまって、大根を抜きはじめた。すると突然、門の内側からまん丸い頭が覗いて、すぐ引っ込んだ。明らかに若い尼である。若い尼など、阿Qの目には塵か芥のようなものだ。とはいえ、世事は「一歩引いて考う」べきである。されば、彼は急いで大根を四本引き抜き、葉をむしり取って、上衣の上へ隠した。だが、年をとった尼はすでに現れていた。
  「南無阿弥陀仏……阿Q、なぜ畑へ忍び込んで大根を盗むのです……やれやれ、罪の深い……南無阿弥陀仏……」
  「いつ、おまえさんの畑へ忍び込んで大根を盗んだ」阿Qは、振り向き振り向き、逃げながら言った。
  「たった今……それは何だい?」年取った尼は、彼の懐(ふところ)を指さして言った。
  「これが、おまえさんのかい。じゃ、おまえさんが呼べば返事するかい。おまえさん……」
  言い終わらぬうちに、阿Qは駆け出していた。でかい黒犬が追ってきたのである。いつもは表門にいるのに、何だって裏庭の方へなど来たのだろう。黒犬は、うなりながら追いかけて、あやうく阿Qの足へ噛みつきそうになった。すると運良く、懐から大根が一本転がり落ちた。犬はびっくりして、ちょっと足を止めた。その隙に阿Qは桑の木へ上り、土塀を跨ぎ、大根もろとも塀の外へころがり落ちた。後にはまだ黒犬が桑の木に吠え、年取った尼は念仏を唱えていた。
  阿Qは、尼さんがまた黒犬をけしかけるのを恐れて、大根を拾って駆け出した。駈けながら小石を二つ三つ拾った。しかし黒犬はもう現れなかった。そこで阿Qは石ころを棄てて、道を歩きながら大根を齧(かじ)った。齧りながら考えた。ここには求めるものは何もない、やはり城内へ行こう……
  三本の大根を食い終わったとき、彼はもう城内へ行く決心をしていた。

  第六章 中興から末路まで

  未荘に再び阿Qの姿が現れたのは、その年の仲秋の直後であった。阿Qが帰ってきたと聞いて、人々はびっくりして、今さらのように、彼がどこへ行っていたかを噂しあった。阿Qは、これまでも何回となく城内へ行ったが、大抵の場合は、あらかじめ得々として人に触れて廻った。ところが、今回に限ってそうでなかった。で、誰も気に留めていなかったのである。彼としても、地蔵堂管理の老人だけには打ち明けたかもしれないが、未荘の慣例として、趙旦那か、銭旦那か、秀才の旦那が城内へ行く場合でなければ、ほとんど問題にされない。にせ毛唐でも大して問題にされぬくらいだから、まして阿Qなど物の数でない。それゆえ、老人も彼のために宣伝してやらず、したがって未荘の社会に知られなかったわけである。
  ところが、阿Qの今回の帰村は、これまでとは大分ちがって、びっくりするだけの値打ちは十分にあった。日が暮れかけるころ、彼は、どんよりした目をして居酒屋の門口に現れた。ずかずかとスタンド脇へ歩み寄って、腰から手を出して、その手にわし掴みにされた銀貨や銅貨をスタンドの上へ投げ出して「現金だ。酒をくれ」と言った。着ているのは真新しい袷である。見れば腰には、大きな巾着をぶら下げていて、重みたっぷりで帯がそこだけ深くたわんでいる。未荘の慣例として、多少とも人目を引くに人物に会えば、軽蔑するより尊敬しておくことになっている。相手が阿Qであることははっきりしていても、その阿Qが、ぼろ袷を着た阿Qと同一でないらしいとなれば、古人の言う「士、三日見ざれば、まさに刮目(かつもく)して待つべし」で、小僧も、主も、客も、通行人も、いぶかりながらも尊敬を払わないわけにいかなかった。酒屋の主は、まずうなずいてみせてから、こう話しかけた。
  「ほほう、阿Q、お帰り」
  「うん」
  「おめでとう。おまえさん、どこへ‥‥‥」
  「城内へ行ってた」
  このニュースは、翌日には全未荘へ広まった。人々は、現ナマと新しい袷の阿Qの中興史を知りたいと願った。そこで、居酒屋や、茶館や、寺の軒下やらで、つぎつぎと情報が入手されていった。あげくの果てに、阿Qは新たなる尊敬をかちえることになった。
  阿Qの言によれば、彼は挙人旦那の家で働いたそうである。この話は、聞き手を感服させた。この旦那は、本当は白(ぱい)という姓であるが、全城にただひとりの挙人であるから、白挙人と言わなくても、ただ挙人とさえ言えば彼を指すことに決まっている。未荘だけでなく、百里四方みなそうである。だから、なかには彼の姓名が挙人旦那だと思いこんでいる者もあるくらいだ。この人の邸で働いたとあれば、当然、尊敬を払わないわけにはいかない。しかし、これも阿Qの言によれば、彼は二度と働きに行きたくない、というのは、この挙人旦那はまったくあまりにも「こん畜生」だからだという。この話は、聴き手を慨嘆させ、かつ痛快がらせた。なぜならば、阿Qなどは挙人旦那の家で働く柄でない、しかしまた、働きに行かぬのは惜しいからである。
  阿Qの言によれば、彼の帰村は、城内の連中に対する不満も、原因らしかった。それはつまり、城内の連中が「長登(原本では「登」の字に「にあし」が付く)(ちゃんとん)」を「条登(てぃあおとん)」と呼ぶことや、魚の唐揚げに葱のみじん切りを添えることなどだが、そのほかに、最近の観察にもとづく欠点として、女の歩くときの尻の振り方がよくない、ということもあった。しかしまた、まれには感服するところもないではなかった。たとえば、未荘の田舎者は、三十二枚の竹の牌しか打てず、にせ毛唐「麻醤(まーじゃん)(麻雀と同音でゴマ味噌の意)」をやれるだけだが、城内では、チンピラだってそんなものはお茶の子だ。にせ毛唐なんか、城内の十五、六のチンピラにかかっては、たちまち「閻魔様の前の小鬼」にされてしまう。この話は、聴き手の顔を赧(あか)らめさせた。
  「おめえたち、首をちょん切るの、見たことがあるか」と阿Qは言った。「へん、すごいぞ。革命党をやっつけるんさ。すごいのなんのって‥‥‥」首を振り振り、彼は真正面にいる趙司晨の顔に唾を飛ばした。この話は、聴き手を肌寒くさせた。ところが阿Qは、じろりと周囲を見回したかと思うと、急に右手をあげて、首を伸ばして阿Qの話に夢中で聴き入っているひげの王のぼんのくぼを目がけて、さっと振り下ろすと
  「バサリ!」
  ひげの王は、びっくりして飛び上がった。同時に、電光石火の早さで首を引っ込めた。聴き手もぞっとしたが、喜びもした。その後、ひげの王は、長いこと頭の具合がおかしかった。そして二度と阿Qのそばへ近寄ろうとしなかった。ほかの連中も同様であった。
  当時、未荘の人々の目から見た阿Qの地位は、趙旦那の上とはいえないまでも、ほぼ同等と称しておそらく言いすぎでないと思われる程度には達していた。
  ところが、やがてこの阿Qの雷名は、全未荘の閏中にまで届くに至った。未荘では、銭と趙の一族だけが深閏のある大邸宅に住まっていて、そのほかは九分通りまでが浅閏であるが、浅閏にしろ閏中は閏中である。従って、これまた驚嘆すべき事件である。女たちは、顔さえ見れば噂しあった。鄒七嫂が阿Qところで青い絹のスカートを買ったそうな。古物は古物だが、小銀貨でたった九角だ。それから、趙白眼の母親‥‥‥一説には趙司晨の母親、未考‥‥‥も、子供に着せる赤いモスリンの単衣を買ったそうな。七分通りの新品で、小銅貨がたった三百文たらずだそうな。かくて女たちは、しきりと阿Qに会いたがった。絹のスカートのないものは絹のスカートを、モスリンの単衣のほしいものはモスリンの単位を、買いたがった。顔を見ても逃げ出さないばかりでなく、時には、阿Qの後を追いかけて、引き戻してまで尋ねるのである。
  「阿Q、絹のスカートはまだあるかい。ないって? モスリンの単衣もほしいね。あるだろう」
  そのうちに、とうとうこの噂が浅閏から深閏にまでひろがってしまった。それというのが、鄒七嫂が、喜ばしさのあまり、自分の買った絹のスカートを趙夫人に見せに行き、それをまた趙夫人が趙旦那に話して、大したものですよ、とほめそやしたからである。かくて、趙旦那は、夕飯の席で秀才旦那と討論を交わした。どうも阿Qはうさん臭い、戸締りに気をつけた方がいい、ということになった。それはそうと、阿Qの持っている品物には、いったいまだ何かめぼしいものがあるだろうか。ひょっとすると、掘り出し物があるんじゃないか。それに、趙夫人は、品がよくてお値段の恰好な毛皮の袖無しを買いたがっていた際でもあった。かくて、家族会議の決議により、さっそく鄒七嫂に阿Qを呼ばせることになり、かつ、そのため新たに第三の特例として、その晩だけ特別点燈を許可することに決まった。
  油はどんどんたってしまうのに、阿Qは一向に現れなかった。趙家の一族は気が気でなかった。あくびをしたり、阿Qが気まま過ぎると言ったり、さては鄒七嫂がのろまだとおこったりした。趙夫人は、春の出入りの差止めがあって、来ないんじゃないかしら、と心配した。趙旦那は、いや大丈夫だ、と言った。この「わし」が呼びにやっとるんじゃ。果たして趙旦那の目に狂いはなかった。ついに阿Qは、鄒七嫂の後についてはいってきた。
  「もうない、もうない、言うてますんで、そんなら、おまえが、自分で行って、申し上げろ、そう言っても、とても、あれは、もう私は‥‥‥」鄒七嫂は、ぜいぜい息をはずませて、駈け付けながら言った。
  「旦那様」阿Qは、うす笑いに似た表情をうかべて、そう一口言ったまま、軒下に立ち止まった。
  「阿Q、かせぎに行って、だいぶためたそうだな」趙旦那は、ずかずか歩みよって、彼の全身をなめるように見まわしながら言った。「結構、結構。ところで‥‥‥何か、古着を持っとるという話だが‥‥‥全部持ってきて見せるんだな‥‥‥いや、ほかでもないが、わしはちょっと、その‥‥‥」
  「鄒七嫂に言っとったです。なくなりました」
  「なくなった?」思わず趙旦那は口走った。「そんなに早くなくなるわけはあるまい」
  「仲間のなんで。もともと、たんとじゃねえです。みんなが買って‥‥‥」
  「まだ少しは残っているだろう」
  「あと、のれんが一枚」
  「じゃ、のれんを持ってきてお見せ」趙夫人があわてて口をはさんだ。
  「いや、明日でいい」趙旦那の方は、さっぱり熱がなくなった。「阿Q、これからな、品物が手にはいったら、まっさきに持ってきて見せな‥‥‥」
  「決してよそより値切らんからな」と秀才が言った。秀才の嫁さんは、阿Qが合点いったかどうかを見るために、すばやく阿Qの顔に一瞥をくれた。
  「あたしは、毛皮裏の袖無しがほしいんだよ」と趙夫人が言った。
  阿Qは、口では請け合ったものの、のそのそ出ていった様子は、しっかり呑み込んだかどうか怪しいものであった。そのため趙旦那は、失望し、憤慨し、憂慮して、しまいにあくびまで忘れてしまった。秀才も、阿Qの態度に不満であった。そして、あの恩知らずは用心せんといかん、いっそ組頭にいいつけて、未荘から追い出した方が得策かもしれん、と言った。しかし趙旦那は、それはよくないという意見だった。そんなことをすれば、怨みを買うことになる。いわんや、この商売のものは通常「鷹は巣のそばの餌を拾わぬ」だから、この村は当然心配いらぬ、ただ自分だけ夜の締りを厳重にすればよろしい、というのであった。この「庭訓(ていきん)」をきいて、秀才は心からなるほどと思ったので、阿Q放逐の動議を即刻撤回した。それから鄒七嫂には、この話は決して人に漏らさぬようにと堅く口止めした。
  しかるに、翌日、鄒七嫂は、青いスカートを黒く染め更えに出しに行ったついでに、阿Qがあやしいという話を言いふらしてしまった。ただ、秀才の阿Q放逐の一条だけは、実際に触れなかった。しかしそれにしても、阿Qには不利な結果になった。第一に、組頭がやってきて、彼の持っていたのれんを取り上げてしまた。趙夫人に見せるのだと言っても、返さぬばかりか、はては月々冥加金を出せと迫られた。次に、村のものの彼に対する尊敬の態度が変わった。無茶しないのは変わりなかったが、煙たがる風が見えた。しかもそれは、以前「バサリ」を食うのを用心したときとはちがって、すこぶる「敬遠」的分子を含んでいた。
  ただ、一部の遊び人だけが、なおもしつこく阿Qから根掘り葉掘り問いたがった。阿Qも別に隠し立てせずに、大いばりで自分の経験を話してきかせた。かくて判明した結果によれば、彼はほんの下っぱで、塀も乗り越せず、倉へも忍び込めず、ただ外で待っていて、品物を受け取るだけの役だった。ある夜、彼は包みをひとつ受け取って、さらに本職が再び忍び込むと間もなく、内でがやがや騒ぎが起こったので、あわてて逃げ出して、夜を冒して城をはい出て未荘へ逃げ帰り、もう二度と再び行く気がしない、というのである。ところが、この物語は、ますます阿Qに不利であった。村の連中が阿Qを「敬遠」したのは、実は怨みを買うのを恐れたためであるが、なんと彼は、二度と再び盗みに行けないような盗人じゃないか。まったく「これまた畏(おそ)るる
に足らざるなり」だ。

  第七章 革命

  宣統三年九月十四日‥‥‥すなわち、阿Qが巾着を趙白眼に売り渡した日‥‥‥真夜中ごろ、一隻の大型の黒苫(とま)船が趙家の河岸に横づけになった。この船が闇にまぎれて漕ぎよせたころは、村の連中はぐっすり眠っていて、誰も気のついたものはなかった。しかし出て行くときには、もう明け方近かったので、実際に目撃したものもあった。八方調査の結果、判明したところによると、この船は実に挙人旦那の持ち船であった。
  その船は一大不安を未荘にもたらすことになった。まだ正午にならぬに、全村の人心はひどく動揺した。船の使命については、趙家では固く秘していた。だが、茶館や居酒屋でのもっぱらの風評によると、革命党が入城するので、挙人旦那がわれわれの村へ避難して来られたのだ、というのだ。鄒七嫂だけがその説に反対して、あれは古い衣裳箱をいくつか挙人旦那が預かってくれと言ったのに、趙旦那のほうで持ち帰らせたのだ、と言った。事実、挙人旦那と趙秀才とは、眤懇(じつこん)というほどではないから、「患難を共にする」だけの情誼がない理屈である。まして鄒七嫂は趙家の隣に住んでいて、見聞がそれだけ真に近いわけだから、おそらくこの説の方が正しいのであろう。
  だが揺言は、ますますさかんに飛んだ。はては、挙人旦那は自身は来なかったらしいが、長い手紙を届けて、系図を辿ると趙家とは「遠回りの親戚」になると言ってよこしたそうな、趙旦那は、とっくり思案したが、いずれ損はないことだから、衣裳箱を引き取ったそうな、いまでは奥さんの寝台の下に隠してある、という噂まで立った。それから革命党の方はというと、一説では、その晩に入城したが、めいめい白兜白鎧を身にまとっている、それは明(みん)の崇正(すうせい)皇帝の喪を示すものだ、というのである。
  阿Qの耳にも、革命党という言葉はとっくに熟している。今年は革命党の殺されるのを、自分の目で見てもいるのだ。だが彼は、革命党というのは謀反だ、謀反は自分に具合の悪いものだ、という意見を、何でそうなったかわからぬが抱いていて、したがってこれまでも「深刻に憎悪」して来ている。ところが、意外にもそれは、百里四方にその名を知られた挙人旦那さえ縮みあがらせるとあっては、彼といえども「恍惚」たらざるを得ない。まして未荘の有象無象があわてふためく様子を見ては、ますます愉快にもなるのだ。
  「革命も悪くないぞ」と阿Qは考えた。
  「こん畜生どもをカクメイしてやる、憎い野郎どもを‥‥‥おいらだって、革命党にはいれるぞ」
  阿Qは、このところ手許不如意(てもとふにょい)の際とて、多少の不平はあったにちがいない。おまけに、昼酒を二杯、空腹にひっかけたのがバカにきいた。考え考え歩くうちに、またもふらふらとなってきた。どうしたはずみか、急に革命党が自分で、未荘の連中は全部彼の捕虜になったような気がしてきた。嬉しさのあまり、彼は思わず大声を発した。
  「謀反だ、謀反だ」
  未荘の人々は、おびえたような目で彼の方を眺めた。その哀れな目は、阿Qのこれまで見たことのないものであった。それを見ると、真夏に氷水を飲んだように胸がさっぱりした。彼はますます愉快になって、歩きながらうなり出した。
  「さて‥‥‥ほしいものは何だっておれのもの、すきな女は誰だっておれのものさ。
  タッ、タッ、チャン、チャン!
  悔ゆとも詮なし、酔うて見まがい、あやめたるは鄭賢弟。
  悔ゆとも詮なし、ああ、ああ、ああ‥‥‥
  タッ、タッ、チャン、チャン、タッ、チャン、リン、チャン!
  鉄の鞭をば振り上げて‥‥‥」
  ちょうどそのとき、趙家の二人の旦那と、二人のほんとの同族とは、表門のところに集まって、革命について論じ合っていた。阿Qはそれに気がつかずに、まっすぐ首をもたげて、うなりながら行き過ぎようとした。
  「タッ、タッ‥‥‥」
  「Qさん」と趙旦那は、おずおずしながら声をかけた。
  「チャン、チャン」阿Qは、自分の名前が「さん」づけで呼ばれるなどとは思ってもいないので、自分に関係ないことだと思って、うなりつづけた。「タッ、チャン、チャン、リン、チャン!」
  「Qさん」
  「悔ゆとも詮なし‥‥‥」
  「阿Q!」秀才は、やむを得ず呼び捨てにした。
  ようやく阿Qは立ち止まって、首をねじまげて、「何だい?」と答えた。
  「Qさん‥‥‥ちかごろ‥‥‥」とだけ言って、趙旦那は後が出ない。「ちかごろ‥‥‥もうかるかね」
  「もうかる?‥‥‥あたりまえさ。ほしいものは何だっておれのもの‥‥‥」
  「阿‥‥‥Qさん、おいらのような貧乏人は、大丈夫だろうな‥‥‥」趙白眼は、革命党のくちうらを探りたいらしく、恐る恐るそう言った。
  「貧乏人?‥‥‥おまえはおれより、よっぽど金持ちだ」そう言い捨てて、阿Qは立ち去った。
  一同は憮然(ぶぜん)となって、話もそれきり絶えた。趙旦那の親子は、家へ帰ると、燈(ひ)ともしころまで相談しあった。趙白眼は家へ帰ると、腰から巾着をはずして細君に渡し、行李の底へしまい込むように命じた。
  阿Qは、ふらふらして飛び廻って、地蔵堂へ戻ったときには、酒の酔いもすっかり醒めていた。この晩は、地蔵堂管理の老人もバカに親切で、お茶をふるまってくれた。阿Qは、餅を二つ所望して、それを食ってしまうと、さらに使いかけの四十匁蝋燭一本と燭台を求めた。蝋燭に火をつけて、ただひとり自分の小部屋に横になった。彼は、口に出して言いようのないくらい気分が新鮮で、愉快であった。蝋燭の光は元宵の夜のようにキラキラ閃き、彼の空想も次から次へと湧いた‥‥‥
  「謀反か。おもしれえぞ‥‥‥白兜白鎧(しろかぶとしろよろい)の革命党が乗り込んで来る。手には青竜刀、鉄の鞭、爆裂弾、鉄砲、三叉の剣、鎌先の槍。地蔵堂の前を通りがかって、『阿Qいっしょに来い』って誘うんだ。そこで、いっしょについて行く‥‥‥
  「そうなると未荘の有象無象(うぞうむぞう)が見ものだろうて。土下座して『阿Q、お助け!』と来るだろう。誰が聴いてやるものか。まっさきにやっつける野郎は、小Dと趙旦那だ。それから、秀才。それから、にせ毛唐。何匹残してやるかな。ひげの王は、残してやってもいいんだが、ええ、やっちまえ‥‥‥
  「分取り物‥‥‥踊り込んで行って、箱をあけてみると、出るわ出るわ。馬蹄銀、銀貨、モスリンの単衣‥‥‥まず秀才のかみさんの寧波(ニンポー)寝台を地蔵堂へ運んでくる。それから銭の家の家財道具‥‥‥それとも趙の家のにするかな。自分じゃ手を出さないで、小Dの奴に運ばせてやる。早く運べ。おそいとガーンといくぞ‥‥‥
  「趙司晨の妹は、おたふくだ。鄒七嫂の娘は、まだ二、三年早い。にせ毛唐のかかあは、辮髪のない男と寝やがって、ふん、ろくでなしだ。秀才のかかあは、瞼にできものの痕があるし‥‥‥呉媽(うーま)は、そういえば長いこと見かけないな。どこへ行ったか‥‥‥惜しいことに大足だが」
  おしまいまで考えきらぬうちに、阿Qはもう鼾(いびき)をかいていた。四十匁蝋燭はまだ五分とは燃えていなかった。赤みのある、ゆらゆらした光が、彼の開いた口元を照らしていた。
  「おーう」と、阿Qは急に大きな声を立てた。頭をもたげて、きょろきょろ周囲を見まわした。四十匁蝋燭が目につくと、またもごろっと頭を倒して、そのまま睡ってしまった。
  次の日、彼はおそく起きた。街へ出てみたが、何一つ変わっていなかった。相変わらず腹もへる。思い出そうとしても、何も思い出せなかった。しかし彼は、ふと思案が浮かんだようであった。のそのそ歩くうちに、いつのまにか静修庵の前まで来てしまった。
  庵は、春のころと同じように静かであった。白い塀と黒い門。彼は、しばらく考えてから、近づいて門を叩いた。犬が内で吠えた。彼はあわてて煉瓦のかけらを拾い集めた。それから、もう一度、力をこめて叩いた。黒い門に無数のアバタができたころ、やっと内から門を開ける音がした。
  阿Qはいそいで煉瓦のかけらを握りなおし、足を踏ん張って、黒犬との開戦に備えた。しかし、庵の門は細目にあいただけで、黒犬は飛び出してくる気配もなかった。覗いてみると、年とった尼さんがひとりいるだけであった。
  「おまえ、また何しに来たの?」尼さんは、びっくりして言った。
  「カクメイだぞ‥‥‥知ってるかい‥‥‥」阿Qは、あいまいな口調で言った。
  「カクメイ? カクメイはもう済んだよ‥‥‥おまえたち、私たちをどうカクメイするのさ」尼さんは両目を赤く腫(は)らしている。
  「えっ‥‥‥」と、阿Qは腑に落ちない。
  「知らないのかい。もう来てカクメイしてしまったんだよ」
  「誰が‥‥‥」阿Qはますます腑に落ちない。
  「秀才と毛唐だよ」
  あまりの意外さに、阿Qは茫然となった。阿Qの鋭気のくじけた隙に、尼さんはすばやく門を閉めた。阿Qが再び推したときは、門はびくともしなかった。重ねて叩いたが、返事がなかった。
  それはまだ午前中のことであった。趙秀才は、早耳で革命党が夜前入城したことを知った。彼は辮髪を頭の頂きに巻き上げて、起き抜けに、それまで交際のなかった銭毛唐を訪問に行った。時はまさに「御一新」時代である。従って彼らは、うまが合って、たちまち意気投合の同志となり、相携えて革命への邁進を約した。彼らは研究に研究を重ねた。その結果、静修庵には「皇帝万歳万万歳」と書かれた竜牌があることを思い出して、これを革命の血祭りにあげようと話がきまり、さっそく相携えて庵へ革命しに出かけて行った。年取った尼が出てきて邪魔したので、ニ、三押し問答の末、両人は尼を満州政府なりとして、したたか頭上にステッキと鉄拳とを加えた。両人が帰った後で、尼さんが気を落ち着けて調べてみると、竜牌はもちろん粉々に砕けて地に落ちているし、そのうえ、観音像の前に供えてあった宣徳焼の香爐が失われていた。
  そのことを、阿Qは後になって知った。彼は、自分が寝過ごしたことを残念がった。しかしまた、両人が彼を迎えに来なかったのを怨んだ。だがまた、一歩退いてこうも考えるのであった。
  「さては奴らは、おれが革命党になったのをまだ知らないな」

  第八章 革命禁止

  未荘では、日一日と人心が安定していった。城内から伝わってくる風説によると、革命党は入城したものの、別に大した変化はないとのことであった。知事閣下はやはり元のままで、ただ官名が変わっただけである。それから挙人旦那も、何とやらいう‥‥‥これらの名前は未荘人にはきいてもわからない‥‥‥官職についた。兵隊の長はやはり以前の緑営軍准尉が当たっている。ただ、ひとつだけ恐ろしい事件が発生した。それは、別に悪い革命党が何人かまじっていて乱暴をし、次の日からは辮髪を切りはじめたことである。何でも隣村の船頭の七斤がやられて、ふた目と見られないザマにされたという。しかしこれは、大してこわがるほどのことではなかった。というのは、未荘の連中はめったに城内へは行かなかったし、また、たまに行きかけたものでも、さっそくその計画を変更しさえすれば、危険にぶつからずに済んだからである。折から阿Qも、城内の昔の友達を訪問する予定であったが、この噂をきいたので、止むなく取りやめにした。
  しかし、未荘にも革命がなかったわけではない。四、五日たつと、辮髪を頭の頂きにぐるぐる巻きにしたものが次第にふえてきた。前に述べたように、先鞭はむろん秀才先生だった。次は趙司晨と趙白眼であった。阿Qはその後である。これが夏のころなら、人々が辮髪を頭の頂きにぐるぐる巻きにしたり、あるいは束ねたりするのは、少しも珍しくない。しかし、今はもう秋も末であるから、この「冬の帷子(かたびら)」式の風俗は、巻き上げ家にとっては大英断と言わざるをえないし、未荘にとっても革命と無関係だとは言えないわけである。
  趙司晨が後頭部をサバサバさせて来かかるのを、見ていた連中がさかんにはやしたてた。
  「ほれ、革命党だぞ」
  それをきくと、阿Qは羨ましくてならなかった。秀才が辮髪を巻き上げたというビッグニュースは、彼はとっくに承知していたが、自分にもまねができるということには考え及ばなかった。いま、趙司晨もそうだと知って、はじめてまねる気になり、実行の決心をした。彼は、竹の箸で辮髪を頭の頂きに巻きつけ、しばらくためらった末、ようやく思い切って外へ出てみた。
  彼は街を歩いていった。人々は彼の方を見たが、何とも言ってくれなかった。阿Qは最初、おもしろくなかった。そのうちに不満になってきた。このごろ、彼はおこりっぽくなっている。実際は、彼の生活は、謀叛の前に較べて決して悪くはなく、人も彼に一目置いているし、商店も現金をよこせなどと言わなかったのだが。だが阿Qは、それにしても得意になれなかった。いやしくも革命したからには、こんなことであってはならない。しかも、あるときなど、彼は小Dにぶつかって、ますます癇癪をつのらせることになってしまった。
  小Dも、辮髪を頭の頂きにぐるぐる巻きにしていた。しかも、やっぱり竹箸に巻いているのだ。阿Qにしてみれば、まさか彼にこんなまねができようとは夢にも思わなかったし、また彼にこんなまねをさせて黙っているわけにもいかなかった。小Dなんて、いったいどこの馬の骨だ。さっそく彼をつかまえて、その竹箸をへし折り、辮髪を解いてしまい、かつ鉄拳を食らわせて、彼がおのれの素性を忘れて革命党になろうとした罪を懲(こ)らしてやろうと本気に考えた。だが、結局は勘弁してやることにした。ただ睨みつけて「ペッ」と唾を吐くだけに止めた。
  この数日間に城内へ行ったものは、にせ毛唐がただひとりであった。趙秀才は、衣裳箱を預かってやった恩顧を盾に取って、自身で挙人旦那を訪問する腹でいたところが、髪切り騒ぎが起こったので中止してしまった。彼は「第一公式」の手紙を書いて、にせ毛唐に託して城内へ届けてもらい、あわせて自由党(ヅーイウタン)への入党のための紹介方を懇望した。にせ毛唐は戻ってくると、秀才に銀四元の立て替えを請求した。それ以後、秀才は銀の桃を上衣に吊るすようになった。未荘人は感服して、あれは柿油党(ヅーイウタン)の勲章で翰林(かんりん)に相当するものだと噂しあった。そのため趙旦那までが急に威張りだしたことは、息子がはじめて秀才になったとき以上で、眼中何ものもなく、阿Qなどに出会っても、ほとんど葉牙にかけないそぶりを見せた。
  ちょうど阿Qは、内心不満で、時々刻々自分が落ち目にあるのを感じていた際とて、この銀の桃の風説をきくと、彼はただちに自分の落ち目の原因を了解した。革命するなら、口で参加を言うだけではダメなのだ、辮髪をぐるぐる巻きにしただけでもダメなのだ。何よりもまず革命党と懇意にならなければダメだ。彼がかねて知っている革命党はたったふたりだけだった。そのひとり、城内にいたのは、とっくに「バサリ」とやられてしまった。今では、にせ毛唐がひとり残っているだけだ。さっそく出かけていって、にせ毛唐に相談するよりほかには、もう道はないのだ。
  銭の邸の表門はちょうど開いていたので、阿Qは恐る恐る忍び足にはいって行った。みると、彼はびっくりした。にせ毛唐が内庭のまん中につっ立っている。全身まっ黒な、たぶん洋服というものだろう、それを着て、その上に、これも銀の桃を吊るして、手には、阿Qが見舞われたことのあるステッキを携えている。やっと一尺ばかり伸びた辮髪をばさばさに解いて、肩の上まで垂れ、髪を振り乱したところは、まるで画にかいた劉海仙人にそっくりだ。その真向かいに、畏(かしこ)まって立っているのが、趙白眼と三人の遊び人で、今まさに謹んで演説を拝聴しているところだった。
  阿Qは、こっそり近寄って、趙白眼の背後に立った。言葉をかけようと思ったが、なんといって呼びかけたものかと迷った。にせ毛唐、むろん、これはダメだ。異人さん、これもよくない。革命党、やはりダメ。西洋先生、まあこんなものだろうか。
  西洋先生は彼に気がつかなかった。ちょうど目を白くして演説に油が乗っているときだったから。
  「私は短気なものでありますから、顔さえ見ればこう申しました。黎元洪(リーユアンホン)君、われわれも着手しよう。ところが相手は、きまってこう申しました。ノウ‥‥‥これは外国語であるから、諸君にはわからない。そうでなければ、とっくに成功しとったのであります。しかし、これこそ彼が用心深い点なのであります。彼は再三再四、私に湖北へ行ってくれと頼むが、私はまだうんと言わない。誰もこんな小さな県城で仕事をしようなどとは思わんが‥‥‥」
  「え‥‥‥その‥‥‥」阿Qは、彼が一息つくのを待って、とうとう思い切って勇気を出して、口をきった。ただ、どうしたわけか、西洋先生と呼びかける言葉は、口から出てこなかった。
  演説を聴いていた四人がびっくりして振り返った。西洋先生も、やっと彼に気がついた。
  「何だ?」
  「その‥‥‥」
  「出て行け」
  「わしも‥‥‥」
  「うせろ!」西洋先生は、葬い棒をふりあげた。
  趙白眼と遊び人とは、口々にどなった。「先生が出て行けと言われるのだ。わからんか」
  阿Qは、手で頭をかばうようにして、知らぬまに門の外まで逃げ出していた。だが西洋先生は、追っては来なかった。彼は六十歩ばかり駈け足してから、並足に戻った。すると心のうちに、悲しみがこみあげてきた。西洋先生が彼に革命を禁ずるとすれば、もうほかに道はない。白兜白鎧の人が彼を誘いに来るあては、絶対になくなってしまった。彼のもっていた抱負、意図、希望、前途、それらは全部ご破算だ。遊び人たちが言いふらして、小Dやひげの王などまでバカにされる、なんてことは、そもそも第二の問題だ。
  こんな味気ない思いをしたことは、かつてなかったような気がした。辮髪をぐるぐる巻きにしたのさえ、無意味なことに思われて、バカらしくなった。腹いせに思い切って垂らしてやろうかとも考えたが、それもやりかねた。ぶらぶら歩いているうちに夜になり、つけで酒を二杯ひっかけた。酒が腹へはいると、次第に機嫌がなおり、ようやく白兜白鎧の破片が再び頭に浮かんでくるのであった。
  ある日、彼はいつものように、夜中までぶらつき、居酒屋が看板になってから、ようやく地蔵堂へ引き上げた。
  パーン、ガラガラガラ‥‥‥
  突然、異様な物音を彼はききつけた。爆竹の音のようではない。野次馬が飯より好きな阿Qのこととて、さっそく、闇のなかを駈けつけた。向こうから人の足音がするらしい。聞き耳を立てていると、突然、ひとりの男がこちらへ逃げてきた。それを見ると、阿Qもいそいで身を翻して、後へついて駈け出した。その男が角をまがると、阿Qもまがった。まがったところでその男が立ち止まったので、阿Qも立ち止まった。うしろを振り向いたが、何もいない。その男を見ると、それは小Dであった。
  「何だい?」阿Qは、つまらなくなってきた。
  「趙‥‥‥趙の家が、やられた」小Dは、息をせいて言った。
  阿Qの心臓はドキドキ波を打った。小Dは、そう言ったまま去ってしまった。阿Qは、逃げたり止まったり、また逃げたり止まったりした。しかし、なんといっても「この商売」に経験があるだけに、肝っ玉が太い。彼は、道の角からはい出て、よくよく聞き耳を立てた。ガヤガヤしているようだ。よくよく透かして見た。無数の白兜白鎧がいるようだ。後から後から、衣裳箱を担ぎ出し、家具を担ぎ出し、秀才の細君の寧波寝台まで担ぎ出しているようだ。ただ、はっきり見えないので、もっと前へ出ようとしたが、両足とも言うことをきかなかった。
  この晩は月がなかった。未荘は暗黒の底に静まり返っていた。静まり返って、伏義(ふっき)(伝説の帝王)時代のごとくに太平であった。阿Qは立って見ていた。見ているうちに自分でもいらいらしてきた。が、向こうは、相変わらず前と同じように、行ったり来たりして運んでいるようだ。衣裳箱を担ぎ出し、家具を担ぎ出し、秀才の細君の寧波寝台まで担ぎ出し‥‥‥あまり担ぎ出すので、彼はどうやら自分の眼が信じられなくなってきた。しかし彼は、もう出て行くまいと決心して、そのまま自分のネグラへ引き返した。
  地蔵堂の内部はさらに暗かった。彼は、門をかって、手探りで自分の部屋へはいった。横になって、しばらくすると、ようやく気が落ち着いて、自分のことも考えられるようになった。白兜白鎧の人は、明らかに来たのである。しかも、彼を誘いにはやって来なかった。分取り品をたくさん運び出したが、そのなかには彼の取り分はない‥‥‥思えば憎むべきは、にせ毛唐が自分に謀叛を禁じたことである。もしそうでなければ、こんな場合に、分け前がないことが、どうしてありえよう。思えば思うほどに癇にさわって、しまいに煮えくりかえるように腹が立った。彼は、いまいましそうに首をふって、つぶやいた。「おいらに謀叛させないで、自分だけ謀叛する気か。こん畜生のにせ毛唐め‥‥‥よし、謀叛してみろ。謀叛は首をちょん斬られるんだぞ。恐れながらと訴えてやるからな。てめえなんか、城内へ引っ張って行かれて、首をチョンだ‥‥‥親子もろともだ‥‥‥バサリ、バサリ」

  第九章 大団円

  趙家の掠奪事件は、多くの未荘人を痛快がらせ、かつ恐怖せしめた。阿Qも痛快がり、かつ恐怖した。だが四日目には、彼は突然、夜中に捕らえられて県城へ連れていかれた。その晩はちょうど闇夜であった。一隊の兵士と、一隊の自警団と、一隊の警察と、五人の探偵とは、ひそかに未荘へ繰り込み、夜陰に乗じて地蔵堂を包囲し、正面入り口へ機関銃を据えつけた。ところが阿Qは、飛び出して来なかった。いくら待っても、音沙汰がない。隊長はじれた。ついに二千貫の賞金を懸けたので、はじめて二人の自警団員が危険を冒して壁を乗り越え、内外呼応して一挙に踏み込み、阿Qを引っ張り出した。地蔵堂からつまみ出されて機関銃のそばまで来たとき、彼はようやく目が醒めかけた。
  城内へはいるころは、もう昼近かった。自分が、とある古ぼけた役所の門をくぐり、五、六回まがり、小さな部屋へ押し込まれたことを阿Qは知った。彼が、うしろから押されてよろめいた途端に、丸太で組まれた網戸が彼の足元で閉じた。奥の三方は全部壁であった。よく見ると、部屋の隅にふたりの先客がいた。
  阿Qは、不安ではあったが、苦しくはなかった。彼の地蔵堂の寝室だって、別にこの部屋より居心地がいいわけではなかったから。ふたりの先客も田舎者らしく、ぼつぼつと彼に口をきくようになった。ひとりは、祖父の代に滞納した小作料のことで挙人旦那から訴えられたといった。もうひとりは、何のことだかわからないと言った。先方でも阿Qに尋ねるので、阿Qははっきり答えた。「謀叛しようと思ったんだ」
  午後、彼はまた網戸の外へ引っ張り出された。広間へ行ってみると、頭をテカテカに剃った老人が正面に座っていた。坊さんだろうか、と阿Qは思った。だが、下手の方を見ると、兵隊がいるし、机の横にも、長衣を着た男が十数人立っている。老人と同じように頭をテカテカに剃ったのもいるし、一尺近くもある長い髪を肩へ垂らした、にせ毛唐そっくりのもいる。一様に横柄な顔つきで、おこっているようにじろっと彼の方を見た。これはきっと曰くのある人にちがいない、と彼は思った。その途端に、膝(ひざ)関節がひとりでに慄え出して、思わず彼はひざまずいてしまった。
  「立て。座るんじゃない」長衣を着ている男たちがどなった。
  阿Qは、その意味がわかるような気がしたが、どうにも立っていられなくて、からだがひとりでにまがって、そのはずみで、ついにはいつくばってしまった。
  「奴隷根性!‥‥‥」また長衣の男が、吐き出すようにそう言ったが、もう立てとは言わなかった。
  「まっすぐ白状するんだぞ。痛い目を見ずに済むからな。何もかも存じておるのだ。白状すれば許してもらえるぞ」坊主頭の老人が、じっと阿Qの顔に目をそそいで、落ち着いた、はっきりした口調でそう言った。
  「白状しろ」と、長衣の男も大きな声を立てた。
  「わしぁ‥‥‥ほんとは自分の方から‥‥‥」無我夢中でしばらく考えていてから、阿Qはやっとぽつりぽつりしゃべり出した。
  「では、なぜやらなかったのだ」老人は、おだやかに尋ねた。
  「にせ毛唐が、いけないって言いました」
  「ばか言え。いまになって、もう遅い。仲間はどこに隠れておるか」
  「何‥‥‥」
  「あの晩、趙家を襲った一味だ」
  「奴ら、わしを呼びに来なかった。勝手に運んでしまいやがった」思い出しただけでも、阿Qは腹が立った。
  「どこへ運んだのだ。言えば釈放してやるぞ」老人はますますおだやかである。
  「知らない‥‥‥呼びに来ないのだから‥‥‥」
  老人は目配せした。阿Qはまた網戸の檻のなかへ連れ戻された。彼が再び網戸から引き出されたのは、次の日の午前であった。
  広間の様子は、以前と同じであった。上手には、やはり光頭の老人が座っていた。阿Qもやはりひざまずいた。
  老人はおだやかに尋ねた。「何か言いたいことはないか」
  阿Qは考えてみたが、何もなかった。そこで「ない」と答えた。
  すると、長衣を着たひとりの男が、一枚の紙をもって、それに筆一本添えて、阿Qの前に差し出して、筆を彼の手に握らせようとした。このときの阿Qの驚きようは、まるで「魂が抜ける」ほどであった。何しろ、彼の手が筆と関係を持つのは、このときがはじめてであった。どう握っていいものか、ただおろおろしていると、その男は、一ヶ所を指差して署名しろと言った。
  「わ‥‥‥わしは‥‥‥字を知らない」阿Qは、筆をわしづかみにして、おそるおそる、はずかしそうに言った。
  「じゃ、何でもいい、マルを書け」
  阿Qは、マルを書こうと思った。筆を握った手は、慄えるばかりである。すると、その男は、紙を下へ展べてくれた。阿Qは、かがみ込んで、渾身の力をふりしぼって、マルを書いた。人に笑われまいと思って、まんまるく書くつもりだったが、この憎らしい筆は、重いばかりか、言うことをきかない。やっと慄えながらも、どうにかつながることはつながったが、その途端に筆が跳ねて、カボチャの種のような恰好になってしまった。
  うまくマルが書けなかったことを恥ずかしがっている阿Qにおかまいなしに、その男は、さっさと紙や筆を持って行ってしまった。おおぜいのものが、もう一度彼を檻のなかへ送り込んだ。
  再度檻の中へ送り込まれても、彼は大して苦にはならなかった。人間として生まれた以上、たまには檻へぶち込まれることもあるだろうし、たまには紙にマルも書かせられよう。ただ、そのマルが歪(ゆが)んだことだけは、彼の「行状」に汚点を印すものである、と彼は考えた。が、まもなく、その考えも釈然とした。バカヤローであってこそ、まんまるいマルが書けるんだ、と彼は考えた。そして睡ってしまった。
  ところが、この晩、挙人旦那は睡ることができなかった。彼は、隊長に向かっ腹を立てたのである。挙人旦那は、まず贓品の詮議が大事だと主張した。隊長は、こらしめが大事だと主張した。ちかごろ隊長は、挙人旦那を軽く見る傾きがある。机を叩いたり椅子を蹴ったりして、こう言うのだ。「一人罰すれば百人のいましめです。いいですか、私が革命党になって二十日そこそこの間に、もう強盗事件が十数件、全部迷宮入りですよ。まるで顔が立たんじゃないですか。せっかくつかまえたと思えば、のんきな話をされたんじゃ‥‥‥いけませんよ、これは私の権限ですからね」挙人旦那はぐっと詰まった。しかし、自説は枉(ま)げないで、もし贓品の詮議をやらぬなら、自分は民政係の職を即刻辞さなければならぬといきまいた。ところが隊長は「ご随意に」とつっぱねたので、その夜、挙人旦那は一睡もできなかったのである。しかし、さいわい次の日も辞職しなかった。
  阿Qが三回目に檻から引き出されたのは、挙人旦那が一睡もできなかった夜のあくる日の午前であった。広間へ行くと、上手にはいつもの光頭の老人が座っていた。阿Qもいつもの通りひざまずいた。
  老人はおだやかに尋ねた。「何か言いたいことはないか」
  阿Qは考えてみたが、何もなかった。そこで「ない」と答えた。
  おおぜいの長衣を着た男と、短衣を着た男とが、たちまち彼に、何か字の書いてある金巾の白い袖無しを着せかけた。阿Qは、気が腐った。まるで喪服そっくりだ。喪服なんか、えんぎでもない。だが、途端に彼の両腕は後ろ手に縛られ、途端に役所の門から突き出されてしまった。
  阿Qは、一台の幌(ほろ)なしの車に担ぎあげられた。短衣の男が数人、同じ場所へ乗り込んだ。車はすぐ動き出した。前方には、鉄砲を担った兵隊と自警団がいた。両側には、ぽかんと口を開けている見物人の群れがいた。後方はどうか。阿Qは振り向いて見なかった。だが彼は、急にハッと気がついた。これは首をちょん斬られに行くのではないか。しまった、と思う途端に目がくらんで、耳の中でガーンと音がして、気が遠くなりかけた。だが、全然気が遠くなったのではない。いたたまれぬ焦燥に駆られるかと思うと、またクソ落ち着きに落ち着いたりした。彼の意識の底では、人間と生まれたからには時には首をちょん斬られることもないわけではあるまい、という感じがぼんやりしていた。
  それでも道だけは見分けられた。どうも変である。なぜ刑場のほうへ行かないのだろう。それが示威のための引き廻しであることを彼は知らなかったのである。だが、たとい知ったとしても、同じことだろう。人間と生まれたからには、時には引き廻しにあうこともないわけでもない、と彼は考えたにちがいないから。
  彼は気がついた。これは遠回りして刑場へ行く道だ。てっきり「バサリ」で首をちょん斬られる。悲しそうな目で彼は左右を見まわした。ぞろぞろ蟻のようにたかっている見物人。ふと、思いがけなく、彼は路傍の群集のなかに、呉媽の姿を発見した。ほんとに久しぶりだった。さては城内へ稼ぎに来ていたのか。阿Qは、急に自分が悄然として歌ひとつうたえずにいることが恥ずかしくなった。彼の思考は旋風のように頭の中を駈け巡った。「若後家の墓参り」は勇ましくない。「竜虎の戦い」のなかの「悔ゆとも詮なし‥‥‥」も弱々しい。やはり「鉄の鞭をば振り上げて」にしよう。彼は手を振り上げようとした。はじめて手が縛られていることに気がついた。これで「鉄の鞭をば」もオジャンだ。
  「二十年目には生まれかわって男一匹‥‥‥」思いまどううちに、生まれて一度も口にしたことのない死刑囚の決り文句が「師匠いらず」に口から飛び出した。
  「よう、よう」群集中から、狼の遠吠えのような声が起こった。
  車は休みなく前進していた。阿Qは、喝采の声を浴びながら、目をきょろきょろさせて呉媽の姿を探した。呉媽は少しも彼に気がつかぬように、兵隊の背中の鉄砲にうっとりと見とれていた。
  阿Qはそこで、喝采した人々の方をもう一度眺めた。
  その刹那、彼の思考は再び旋風のように頭のなかを駆け巡るような気がした。四年前、彼は山の麓で、一匹の飢えた狼に出会ったことがある。狼は、近づきもせず、遠のきもせず、いつまでも彼の後をつけて、彼の肉を食おうとかかった。彼は、恐ろしさに生きた空もなかった。さいわい、鉈(なた)を一丁手にしていたので、そのお陰で肝を鎮めて、どうにか未荘まで辿りつくことができた。しかし、そのときの狼の眼は、永久に忘れられない。残忍な、それでいて、びくびくした、キラキラ鬼火のように光る眼、それは、はるか遠くから、彼の皮肉を突き刺すような気がしたものであった。ところが、今度という今度、これまで見たこともない、もっと恐ろしい眼を、彼は見たのである。にぶい、それでいて、刺のある眼。とうに彼の言葉を噛み砕いてしまったくせに、さらに彼の皮肉以外のものまで噛み砕こうとするかのように、近づきもせず、遠のきもせずに、いつまでも、彼の後をつけてくるのだ。
  それらの眼どもは、スーッと、ひとつに合わさったかと思うと、いきなり彼の魂に噛みついた。
  「助けて‥‥‥」
  だが阿Qは、口に出しては言わなかった。彼は、とっくに眼がくらんで、耳の中でブーンという音がして、全身こなごなに飛び散るような気がしただけである。
  当時の影響について言えば、もっとも大きな影響を蒙ったのは、むしろ挙人旦那であったろう。贓品の詮議が行われなくなったためで、そのため一家を挙げて号泣した。その次は趙家であった。秀才が城内へ訴えに行ったとき、よからぬ革命党のために辮髪を切られてしまった。そればかりでなく、二十貫の懸賞金をしぼられたからだ。そのため、これも一家を挙げて号泣した。この日を境として、彼らは次第に遺老的な気持ちになり出した。


  輿論はどうかというと、未荘では、一人の異論もなく、当然、阿Qを悪いとした。銃殺に処せられたのは、その悪い証拠である。悪くなければ、銃殺などに処せられる道理がないではないか。一方、城内の輿論は、あまり香しくなかった。彼らの多くは不満であった。銃殺は首切りほど面白くない、というのだ。しかも、なんと間の抜けた死刑囚ではないか。あんなに長いあいだ引き廻されていながら、歌ひとつうたえないなんて、ついて廻っただけ歩き損だった、というのであった。

(一九二一年十二月)
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回复:阿Q正传

鱼肠剑大人都到这里来啦
大欢迎 大欢迎

那个鲁迅先生的<阿Q正传>实在是,中文的都还没拜读过.- -b
很感谢这贴.我收下了.呵呵......
再次表示感谢!
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回复:阿Q正传

好东西收精华。
浴场兄还有还贴啊,呵呵
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