回复:下了渚的剧本,却因为是日语的看不懂,泪奔ing,现在发上去,有闲人的话谁帮忙翻译一下啊,帮个忙咩~~...
幻想世界I
僕は見ていた。
遠い世界を。
薄暗い場所だった。
どこなのだろう、ここは。
屋内のようだった。
閑散としていた。
机が見える。
人が居るべきだった。でも、居なかった。
なにひとつ、動くものなく…
ただ、時間が過ぎる。
………。
もし僕が、新しい命として、生まれる場所を探しているなら…
この世界を選んではいけないと思った。
僕は怯えていたのだ。この世界に。
僕はずっと前から気づいていた。
この世界は終わってしまっている、ということに。
もう、ここでは何も生まれず、何も死なない。
過ぎる時間さえ、存在しない。
だから、終わることすらない。
一度生まれ落ちたが最後。
終わりのない世界に閉じこめられ、二度と出られなくなる。
死ぬこともなく、新しい世界に生まれることもできない。
そんな凍てついた世界を、僕は見ていた。
このまま目を閉じて、ここから去ろう…
そう思う。
どうか…次、目覚めたときは、この世界でないよう…。
もっと、素敵で、温かな世界でありますように。
僕は目を…
この世界での、意識を閉じた。
………。
そのとき、一瞬、光が揺らいだ。
何かが動いたのだ。
その正体はわからない。
けど、動く何かがある。
この世界は、終わっていなかったのだろうか…。
…あるいは、終わっている世界に住む、何かなのだろうか。
窓から漏れる光を受けた壁。
その影の部分が動いている。
もし『目』を動かせたなら、見えたかもしれない。
でも、まだその正体はわからない。
ゆっくりと動いている…。
やがて、壁は元通りの光を映し出し…
代わりに、ひとりの少女が目の前に現れた。
まだあどけなさが残る。
僕のことをじっと見ていた。
見えるのだろうか、僕が。
彼女の手が僕に向けて差し出される。
けど、それは僕に触れることなく、通り過ぎた。
そう…
僕はこの世界に生まれていない。
だから、触れることができないのだ。
でも、だとしたら…どうして彼女は僕に気づいたのだろう。
姿だけは見えているのだろうか。
それはどんな姿で?
彼女は引いた手を、左右に振った。
そして僕から離れていく。
見えなくなった。
…こんな世界に、人がいた。
終わってしまった世界で、彼女は何をしているのだろう?
どんな暮らしをして、何を糧に生きているのだろう?
生き続けているのだろう?
僕は、どうしてか、彼女のことが気になった。
それはこの世界の異質さからだろうか…。
まだ、僕は怯えている。
…この世界に、生まれてはいけない。
でも、少女はそんな場所に住んでいた。
だからだろうか…。
………。
また僕はこの世界を見ていた。
多くは、退屈な静止した世界だった。
でも、時折、少女が目の前に現れてくれる。
少女と僕は、意志の疎通ができなかった。
だから、彼女は、僕を見る以外のことはしなかったし、僕も、彼女を見る以外のことはできなかった。
でも、確かに…
その瞬間を、僕はいつも待ちこがれていたのだ。
少女の生活は孤独だった。
少女以外に、誰もいなかった。
それは当然だった。
ここからは、何も生まれず、何も死なない。
そんな世界だ。
だからだろう。
飽きもせず、僕なんかを見てくれるのは。
ある日、彼女は胸にたくさんの何かを抱いて目の前に現れた。
それは、大小さまざまの…ガラクタだった。
ガラクタとしか言いようのない…用途のわからない物ばかり。
そこから彼女は、長い時間をかけて、そのガラクタを組み上げ始めた。
どれだけの時間が過ぎただろうか。
少女の目の前には彼女の半分の背丈ほどの人形が立っていた。
少女は誇らしげに立つと、僕に顔を向けた。
彼女の顔を見て、ようやく気づく。
その体は、僕のためのものだったのだ。
でも、僕はどうすればいいのだろうか。
よくわからなかった。
望めばいいのだろうか。
この世界に生まれることを。
僕はそんなことを望んでいたのだろうか。
僕は今でも、この世界を恐れているのだ。
生も死もなく…
二度と、抜け出ることができない世界…
本当に、そんな閉ざされた世界だったら…
僕という存在は、ここで終わるのだ。
少女が差し出す手…
擦り傷だらけの手を、僕はじっと見た。
この世界で…たったひとつの温もり。
いつしか…
僕はそれを求めた。
4月16日(水)
また彼女はそこにいた。
朋也「あのさぁ…」
古河「あ、おはようございます」
頭をぺこりと下げる。
朋也「おはようございます…じゃねえよ」
古河「はい?」
朋也「言いたいことは色々あるんだけどさ…」
朋也「とりあえず、またここで何してんのさ」
朋也「俺は単純に寝坊したんだけど、あんたは違うだろ?」
朋也「ずっとここにいたんだろ」
古河「はい…いました」
朋也「それとも、なんだ? おまえは、ここで生徒全員に挨拶しているのか」
朋也「しかも、遅刻してくる生徒にまでだ」
古河「いえ…そんなことはないです」
古河「正直に言ってしまうと…今朝挨拶したのは今のが初めてです」
古河「………」
朋也「………」
『…浦島太郎の気分を味わいました』
昨日の言葉を思い出す。
きっとそれだけじゃない。
誰もが進学していくような学校で、2度目の三年。
しかも、女の子で…。
周りの生徒との溝は、俺が思っている以上に深いのかもしれない。
朋也「はぁ…」
無意味に頭を掻く。
朋也「…とりあえず、いこうぜ。こんなところに突っ立っていても、仕方がないだろ」
古河「でも…ちょっとまだ…」
朋也「今日の昼は何を食う」
古河「それもまだ決めてないです」
朋也「カツサンドにしろ。あれうまいから」
古河「カツサンドというと…一番の人気商品だという噂のですか」
朋也「噂って…んな大げさな」
古河「でも、買うの難しいです。あんパンにしておきます」
古河「あんパンなら、いつも余ってますから」
朋也「俺が買ってきてやってもいいから」
古河「いえ、そんな無理は言わないです」
朋也「無理って、そんな大したことじゃないけどさ…」
朋也「それに、あんパンよりかはカツサンドのほうが効き目があるんじゃないのか」
朋也「走って売り場にいけば、買えるよ」
朋也「それに、あんパンよりかはカツサンドのほうが効き目があるんじゃないのか」
古河「……?」
少し小首を捻った後、唐突に俺の言葉を理解して大きく頷いた。
古河「カツサンドだったら、ものすごくがんばって、この坂のぼれますっ」
古河「突っきって、裏門から出てしまうぐらいですっ」
朋也「それは、帰ってしまってるじゃないかっ」
古河「そ、そうですねっ…」
朋也「ほら、カツサンドって言ってみろ」
古河「えっと…カツサンド」
朋也「よし、いくぞ」
本当にそんなおまじないで、気が奮い立つのかどうかは知らない。
でも、それを合図に俺は彼女の背中を押した。
慌てて、自分の足で坂を登り出す。
一歩一歩、着実に。
朋也「ふわぁ…」
すでに進学する気もない俺にとって、授業ほど無意味なものはなかった。
朋也(春原もいないし…退屈だ…)
朋也(春原は、自主トレに出たままだし…退屈だ…)
朋也(退屈だ…)
ただ居て、話を聞き流しているだけ。教科が替わろうが、やることは同じだった。
他に楽しいことがあるわけでもなし…。
適当に過ごすか…。
………。
四時間目を終え、昼休みに。
2時間ぶんの授業しか受けていないにも関わらず、十分だるい。
朝から四時間も授業を受けて、平然としている奴らが信じられない。
ようやく、午前の授業が終了…。
朋也(よくも、こいつらは毎朝4時間も授業を受けていられるもんだな…)
久々に一時間目から受けたから、堪えた…。
春原「岡崎、昼飯食いにいこうぜっ」
朋也「おまえ、ずっと居たみたいに言うな。今、来たところだろ」
春原「腹減ったから、来たのさっ」
朋也「素敵なスクールライフだな」
春原「昼飯も出れば、ずっと寮に居るんだけどねっ」
朋也「おまえの存在が、あの寮のカビな」
そういや昼飯で思い出す。
朋也(約束してたな…カツサンド買ってきてやるって)
朋也(しかも、カツサンドはすぐ売れ切れちまうぞ…)
朋也「春原、おまえはひとりで勝手に食ってろ!」
俺は走り出す。
春原「んだよ、おいっ」
俺は走って、学食に向かう。
学食のパン売場はすでにぶ厚い人垣が出来ていた。
朋也(くそ…遅かったか…)
今更、あの人混みの中に割って入っていく気も起きない…。
朋也(また、あんパンでもいいかな、あいつ…)
──カツサンドだったら、ものすごくがんばって、この坂のぼれます。
──突っきって、裏門から出てしまうぐらいです。
カツサンドを糧に、あいつは今朝、頑張ったんだよな…。
朋也「ちっ…いくか」
俺は人混みの中に、果敢に突っ込んだ。
朋也「どけっ、てめぇっ!」
生徒「ぐあぁっ」
朋也「暑苦しいっ!」
生徒「うおぁっ!?」
朋也「…うらあぁぁっ!」
抜けた先、ただひとつ残っていたカツサンドをひっ掴む。
朋也「これ、くださいっ」
売り子「160円ね」
朋也「はぁ…はぁ…」
息も絶え絶えに俺は、人混みから抜け出てくる。
手には、握りすぎてしわしわになったカツサンド。
朋也(あ…自分のぶん、忘れた…)
脱力し、うなだれる。
朋也(何やってんだ…俺…)
朋也(これ…食うか…)
朋也(しわしわになってるし…)
そうすることにして、顔を上げる。
その先…学食の入り口に、余所余所しく立つ女生徒がいた。
じっと…この喧噪が引くのを待っていた。
朋也(そりゃあ…あんパンしかなくなる)
俺は寄っていった。
目の前に立とうとも、彼女は俺に気づかない。
顔見知りに会うことなんて、まったく思ってもみない、というふうに。
朋也「よぅ」
古河「えっ…わっ」
驚いて、数歩下がった。
古河「あ…岡崎さんっ」
古河「岡崎さんも、いらしたんですねっ」
朋也「ああ」
古河「パンですかっ」
朋也「ああ」
古河「そうですか、パン、とてもいいと思いますっ」
朋也「おまえは?」
古河「わたしですかっ」
何か、わざと明るく振る舞っているように見えた。
こんな俺でも、自分のいいところを見せたいとばかりに。
古河「わたしは、その…例のカツサンドというものを買ってみようかと思ったんですが…」
人混みに目を移す。
古河「やっぱり、無理みたいです…」
朋也「頑張ってみたのか?」
古河「はいっ、一番早く教室を出ました」
古河「でも、授業が終わるのが遅かったもので…」
古河「すでに、こんな状況でした」
朋也「まぁな…授業が早めに終わるぐらいでないと、女にはカツサンドは無理だろうからな…」
古河「ちょっと残念です」
朋也「………」
朋也「あのさ…」
古河「はい」
朋也「こんなんでもいいか?」
目の前にカツサンドを突きつけてみた。
古河「えっ…これ、カツサンドですかっ」
朋也「ああ」
古河「買ってきてくださったんですか」
朋也「こんなんだけど」
古河「ありがとうございますっ」
頭を下げた後、受け取る。
古河「すごいです、これがいつだって一番に売り切れるというカツサンドですかっ」
朋也「ああ」
古河「本当にありがとうございますっ」
しわしわになってることなんて、まったく気にしていないようだった。
古河「おいくらでしたか」
朋也「160円」
古河「それでは…はい」
可愛らしい財布を取り出して、俺の手に小銭を載せた。
朋也「………」
古河「どうしましたか?」
それを受け取っても、立ちつくしている俺を見て、そう訊いた。
朋也「自分のぶん、まだ買ってねぇ」
古河「えっ…」
古河「だったら、これは岡崎さんが食べてください」
朋也「いや、いいって。人混みが引くの待つから」
古河「それだと、あんパンしか残らないです」
古河「代わりにわたしが買ってきます」
朋也「えぇ?」
古河「どんなのがいいですか?」
朋也「ええと…惣菜系のパン」
古河「コロッケパンとか、焼きそばパンですねっ」
朋也「ああ」
古河「それでは、いってきますっ」
俺をその場に残し、古河は列の最後尾についた。
………。
全然、前に突っ込んでいく気配がない。
古河「すみません…あんパンになってしまいました…」
俺は思わず苦笑してしまう。
朋也「いや、あんパンでいいよ」
古河「わたしの、カツサンドと…」
朋也「いいって。俺、カツサンドは食い飽きてるからさ」
古河「あんパンは、あまり食べないですか?」
朋也「ああ、ぜんぜん食わないね」
朋也「あんパンかぁ…むちゃくちゃ久しぶりだなぁ」
古河「なら、久しぶりに食べてみてください」
古河「おいしいです」
…甘いの、苦手なんだけどな。
その後、中庭に場所を移して、俺たちは昼食とした。
朋也「俺も同じだよ」
朋也「遅刻ばっかしてる」
朋也「不良なんだ」
古河「…え?」
朋也「校内じゃ有名なんだ。夜遊びが過ぎて、遅刻の常習犯」
朋也「今日はたまたま遅刻しなかったけどさ…」
朋也「けど、おかげで、かなり眠いよ」
朋也「今も、かなり眠いよ」
ふぁあ、とあくびをしてみせる。
古河「本当ですか?」
朋也「本当だよ。夕べも家に帰ったの、深夜の4時だ」
古河「タバコとか…吸ってるんですか」
朋也「いや、タバコは吸わない不良なんだ」
古河「なら、良かったです。わたし、タバコの煙、ダメですから」
古河「うちのお父さんは、すごくタバコ吸うんです」
古河「お父さんの部屋、入れないです。タバコ臭くて」
朋也「そう…」
古河「服とかにもたくさん匂いついてて、すぐ洗わないといけないし」
古河「大変なんです…えへへ」
初めて、彼女の笑顔を見た気がする。
いつも家の中では、こうして笑っているのだろう。
この子には、家族だけでも優しい。
それを知って、ほっとした。
朋也「なぁ、これからどうする」
古河「はい? なんのことですか?」
朋也「いや、演劇部…あんなになっちまっててさ…」
古河「物置でしたね」
朋也「廃部なんだ。噂に聞いたことがある。後になって、思い出したんだ」
こんなこと隠していたって仕方がない。そうはっきりと告げた。
古河「廃部…ということは、もう、この学校には演劇部がないんでしょうか」
朋也「ああ。ない」
こいつの、この学校での最後の希望も…。
古河「仕方ないです…」
古河「誰も悪くないですから」
朋也「だな…誰も悪くない。運が悪かっただけだ」
古河「そうですね」
案外、冷静に受け止めたようだった。
古河「カツサンドっ」
朋也「いや、おまえ、今、食ってるじゃん」
古河「あ、そうでした」
古河「………」
…思いっきり、堪えているようだった。
友達もいなくて、憧れていた部活動も廃部ときたら、当然かもしれなかった。
古河「あ、誰か見てます、こっち」
彼女が校舎の窓を見上げていた。
朋也「そうだな」
古河「わたしたち、邪魔じゃないでしょうか」
朋也「まさか。俺たちはずっと、ここにいたんだぜ?」
古河「そう…ですよね」
朋也「手でも、振ってみろよ」
古河「えっ?」
朋也「手、振るんだよ。にこやかに」
朋也「そうしたら、一緒に話したりする、きっかけになるかもしれないじゃないか」
古河「わたし、ひとりですか?」
朋也「俺がやってどうするんだよ。向こうは、女だぜ?」
古河「やってもいいと思いますけど…」
朋也「そんなのまるでナンパだろ。ひとりでやるんだ。ほら」
手を持ち上げてやる。
古河「えっと…にこやかにでしたっけ」
朋也「そう。笑顔でな」
古河「えっと…えへへ」
笑いながらぱたぱたと手を振る。
すっ、と窓の人影が消えた。
古河「あは…」
笑顔が凍る。
古河「カツサンドっ」
朋也「いや、だから、食ってるじゃん」
古河「あ、そうでした」
もぐもぐ…
古河「おもしろいですよね、岡崎さんは」
朋也「おまえだろ…」
古河「わたしはおもしろくないです」
古河「ぜんぜん」
ずっと、空を見上げていたふたり。
いつか、こいつのために誰かが降りてくる日がくるのだろうか。
古河「もし、できるなら…」
古河から口を開いていた。
古河「演劇部をまた、作りたいです」
俺は嬉しく思った。
出会った時の彼女が、そこまで前向きな発言ができただろうか。
朋也「できるさ。簡単なことだ」
古河「本当ですか?」
朋也「ああ。あんたにやる気さえあれば」
古河「でも、大変なことだと思います」
古河「だから、できれば…」
古河「岡崎さん、部長になってください」
………。
朋也「カツ丼」
古河「はい?」
朋也「いや、俺は学食のカツ丼が好きだなぁーって」
古河「?」
朋也「とにかく、だ。部長はあんただろ。俺は演劇なんかに興味ないしな」
古河「…そうですか。残念です」
朋也「だからって、やめるって言うなよ?」
古河「でも、ひとりきりは寂しいです」
朋也「部員集めればいいじゃないか」
古河「………」
悩んでいるようだ。
というより、引き返せなくなったことを後悔しているような…。
少し可哀想だった。
朋也「でもな」
だから俺は言った。
朋也「入部はしないけど、部員集めるぐらいなら、俺も手伝うから」
古河「………」
彼女の目が開く。そして俺を見た。
古河「本当ですか?」
朋也「ああ、約束する」
朋也「あんたが立派な部長になるまでは、俺も力を尽くすから」
古河「なら…」
古河「がんばってみます」
朋也「よし」
俺は何を喜んでいたのだろうか。
これからの時間を、そんなものに費やすことを約束して。
みんな、受験に向けて勉学に励もうとするこんな時期に。
いや…
朋也「俺もこっち側の人間なんだよな…」
そんな奴らを斜に見て、いつだって傍観者でいて…
古河「何か言いましたか?」
朋也「いや…。全生徒の半数ぐらいが演劇部になるといいな」
古河「多すぎです」
朋也「そっか。ま、目標は高いほうがいいからな。それぐらいのつもりでいこうぜ」
古河「ええ、多すぎですけど、わかりました」
朋也「頑張れよ、古河さん」
初めてそう名を呼んだ。
古河「はいっ」
………。
午後の授業、そしてHRと終わり、掃除当番以外は帰宅していく。
春原「あのさ、岡崎」
春原が自分の机の上に座り、こっちを向いていた。
春原「なんか、おもしろいことやってる?」
朋也「はぁ?」
春原「今日の昼休みも、昨日の帰りも、おまえ、一目散に走っていったよな?」
春原「僕も混ぜろって」
朋也「んな面白いことがあったら、俺が教えてほしいぐらいだ」
春原「なんにもないの?」
朋也「なんにもねぇよ」
朋也「最近腹の調子が悪いだけだ」
朋也「それぐらい察しろ」
春原「なんだ、それだけだったのか…」
朋也「ああ」
春原「つまんねぇの」
春原「じゃ、今日はどっか寄ってこうぜ?」
朋也「おまえは俺の話を聞いてなかったのか」
春原「え?」
朋也「調子悪いって言ってんだろ」
朋也「じゃあな」
空っぽの鞄を掴んで、俺は席を離れた。
演劇部の部室前。
朋也(ああ、また来ちまったよ…)
俺はそんなにも責任を感じているのだろうか。
学生の義務さえ、放棄してしまっているのに。
小さな足音が聞こえてきて、俺は振り返る。
古河が半ば駆けるようにして、こっちに向かってきていた。
古河「岡崎さんっ」
嬉しそうに、そう俺の名を呼んで、横に並んだ。
古河「びっくりしました…」
古河「誰か居るって思ったら、岡崎さんでした」
朋也「ああ、俺で悪かったな」
古河「違います、違う人を期待してたわけじゃないです」
古河「岡崎さんでよかったです」
古河「知ってる人が待ってくれてるなんて、思わなかったですから…」
古河「すごくうれしくて…走ってきてしまいましたっ」
そうか…。
こんな愛想のない野暮ったい男でも、こいつにとっては、唯一話ができる人間だったのだ。
古河「あの、今から、何かしますかっ」
朋也「そうだな…」
俺はドアを開く。
床一面に広がるダンボールや備品。
朋也「とりあえず、掃除だな…」
古河「ですよね」
古河「まず、物をどかさないといけないです…」
朋也「だな」
俺たちは物を別の空き教室に運び、また別の教室から持ってきた掃除用具で掃除を始めた。
はたきで埃を落とし、箒で掃き集め、そして雑巾掛けをした。
西日が差し始める頃、ようやく部室として使えるほどに片づいた。
朋也「こんなもんでいいかな」
古河「はいっ」
古河が目を輝かせて室内を見渡す。
古河「できました…わたしたちの部室です」
朋也「わたしたち?」
朋也「俺、部員じゃないんだけど」
古河「え…?」
一転して、泣きそうな顔になる。
しかし、これだけははっきりとさせておかなければいけない。
朋也「俺は部員を集める手伝いをするだけだぞ」
古河「演劇、楽しいです」
朋也「演劇に興味なんてない」
古河「本当に…その…ないんですか」
朋也「ああ。悪いけど」
古河「………」
…落ち込んでいる。
朋也(興味ある素振りすら、見せてないはずなんだけどな…)
朋也「あのさ、古河」
古河「はい」
朋也「すぐ、人なんて集まる。俺に任せておけ」
古河「いえ、そういう問題じゃなくて…」
古河「岡崎さんに居てほしいと思っただけです」
古河「何人集まろうと、です」
朋也「いや…そう言ってもらえるのは嬉しいんだけどさ…」
朋也「…まあ、その件に関しては考えておくよ」
そう曖昧に締めくくる。
古河「はい。お願いします」
そう…俺の役割は、部員が集まるまでだ。
そうすれば、こいつも、学校で話せる人間がたくさんできて…
俺にすがる必要なんてなくなるに違いない。
世話を焼くのも、それまでだった。
ふたりで、もう下校生徒もまばらな坂を下る。
少しだけ帰りたくなかった。
いや…かなり、か。
朋也「腹減ったな」
古河「はい、空きました」
朋也「飯、食いたいな」
古河「食べたいです」
朋也「どっかで、食ってくか」
そう誘ってみた。
古河「外食ですか?」
朋也「そう。不良っぽいだろ」
古河「でも、わたしは家に帰ってご飯作るお手伝いしないとダメなんです」
朋也「そんなのいいだろ」
古河「お母さんだけに任せておけないですから」
そう言って笑う。全然苦に思っていないようだ。
その様子からも、彼女の家庭が暖かなものであることが窺えた。
古河「岡崎さんは、家でご飯、食べないんですか?」
朋也「帰っても、何もないからな」
古河「………」
しばし沈黙。
古河「えっと、そのっ…」
何か言いつくろおうとする。その前に俺は教えることにする。
朋也「親父は元気だよ。母親のほうは、いないけどさ」
古河「じゃあ…その、お父さんと晩ご飯食べないんですか?」
朋也「ああ。喧嘩してるんだ、ずっと」
わかりやすくするため、そういうことにしておく。
きっと今の酷さなんて、誰にも伝わらない。
俺にしかわからない。
古河「何か、あったんですか?」
朋也「ああ。色々あった」
もう取り返しのつかないほど色々と。
古河「………」
彼女は黙り込む。気まずい方向へと話が進んでいることを気にしているようだった。
朋也「ま、父子家庭ってのはそんなもんだ」
朋也「男ふたりが顔を突き合わせて仲良くやってたら、逆に気持ち悪いだろ」
フォローのつもりでそう付け加える。
古河「そうですか」
古河「でも、どこかで…」
彼女は胸の前で両手を重ねて…
古河「喧嘩していても、どこかで、通じ合っていればいいです」
そうまとめた。
朋也「そうだな」
息をつく。
俺は不思議に思った。どうしてここまで、自分の家の事情など話してしまったのか。
古河「あの、もし迷惑でなければ…」
古河「晩ご飯、ご招待します」
あるいは、その言葉を俺は待っていたのかもしれない。
ただ、家から遠ざかりたくて。
朋也「いいのか?」
古河「構わないです。わたしの友達って言えば、快く迎えてくれます。これには自信あります」
朋也「そっか」
本当に、幸せな家庭なのだろう。
そんな場所に無粋な俺などが割って入ることに気兼ねはしたが、それ以上に家に帰ることがためらわれた。
だから、俺は遠慮もせずご相伴に預かることにした。
古河「ここから真っ直ぐいくと、公園があって、その正面にパン屋があります」
朋也「うん」
古河「そのパン屋が家です」
朋也「わかったよ」
古河「それでは、家で待っててください。すぐわたしも戻りますので」
朋也「ああ。じゃあな」
古河「はい」
と背中を向けた彼女の後ろ襟を掴む。
朋也「待て待て、どうしてこんなところで一度別れるんだよっ」
古河「え? ダメでしょうか」
朋也「ダメもなにも、おまえがいなけりゃ、俺は身元が怪しい自称おまえの友達でしかないだろ」
古河「大丈夫です。制服着てますから」
朋也「そんな問題じゃないっ」
朋也「快く通されて、会ったこともないおまえの家族と俺がテレビ見ながら団欒してたほうが不気味だろっ」
古河「だから、自信あるんです」
古河「うちの家族は、そういうこと気にしないです。不気味じゃないです。とても自然に接してくれます」
朋也「そらぁすげえな…」
どんな家族だ。想像もつかねぇ…。
天を仰ぐ。
朋也「しまった」
目線を戻したとき、彼女はすでに遠くにいて、こっちに向けて手を振っていた。
古河「公園までいったらわかりますのでっ」
そう言って、立ち去った。
ひとり残される俺。
朋也(あいつ…世間知らずだよな…)
そのことを痛感する。
朋也「今日も弁当買って、春原の部屋か…」
呟いて踵を返す。
朋也「………」
が、そこで足を止める。
…ここで俺がいなくなったとしたら、あいつはどうするだろうか。
朋也(きっと探すだろうな…)
面倒なことになったものだ。
朋也「はぁ…」
なんだか無性に腹が立ってきた。
ちょっとした気まぐれから面倒を抱え込んでしまった自分に。
何もしなければ、何も起きずに済んでいたのに…。
朋也(ああーっ、くそっ…)
頭の中で、何かが吹っきれた(あるいはキレた)。
そう…あいつの言ったことを行動に移せばいいのだ。
極めて自然に。
そうすれば、すべては自然の流れで起きた出来事。
今日は何の後悔もない一日になる。
あいつの家で晩飯を食って、家路についた。それだけとなる。
朋也(そうしてやる…)
俺は『不自然』を強引に『自然』に変えるために、もう一度踵を返して歩き始めた。
朋也「ここか」
公園のすぐ正面。一軒のパン屋があった。
『古河パン』と看板にある。
朋也(すっげー地味な店…)
ガラス戸は半分閉じられていたが、中からは煌々とした明かりが漏れている。
まだ営業中のようだった。
にしても、入りづらい佇まいである。常連客以外が、訪れることがあるのだろうか?
俺がパンを求める客であったなら、遠くても別のパン屋を探すだろう。
でも今は、古河に招待されて来たのだから、ここに入るしかない。
戸の敷居を跨いで、中に踏み入る。
朋也「………」
誰もいなかった。
朋也「ちーっす」
声をかける。
朋也「………」
それでも、返事はなかった。
朋也(結局、留守なのかよ…)
朋也(だとしたら、取られ放題だぞ…)
俺は棚に並べられたパンに目を向ける。
朋也(かなり残ってるな。どうするんだろ、これ…)
こんなに遅い時間だというのに、トレイには大量のパンが並べられていた。
見た目はうまそうだ。
朋也「よし、味見してやるか」
その中のひとつを手に取る。
だが、口に運ぶ途中で、違和感に気づき、手を止める。
朋也(何か入ってるぞ、これ…)
声「こんばんはっ」
いきなり背後で声。
驚いて振り返ると、ひとりの女性がすぐ近くに立っていた。
エプロンをしているところを見ると、きっと店員なのだろう。
古河の母親なのだろうか。にしては、若く見えた。
古河·母「それ、今週の新商品なんです。食べてみてください」
朋也「代金は?」
古河·母「結構ですよ。余り物ですから」
朋也「そりゃ、ラッキー」
古河·母「それ、コンセプトは『なごみ』です」
朋也「あん? これ食うと、なごむの?」
古河·母「はい。とってもなごむと思いますよっ」
朋也「………」
よくわからなかったが、食べてみることにする。
ぱきっ!
…ボリボリ。
古河·母「おせんべいが入ってるんですよ。すごいですよね。アイデアの勝利ですよね」
敗北していた。
古河·母「名付けて…おせんべいパンです」
まんまだった。
古河·母「お子さまから、ご年輩の方まで幅広く愛されそうですよね」
幅広く嫌がられそうだった。
古河·母「………」
俺が黙っていることに、不安を覚えたのだろう。
古河·母「あの…ダメでしょうか?」
恐る恐るそう訊いた。
朋也「ああ。ずばり言おう。こんなもの誰も買わない」
古河·母「な…何が悪いんでしょう…ネーミングでしょうか」
古河·母「ネーミングに関しては自信ないです」
古河·母「えっと、どうしましょう…」
古河·母「ボリボリいうから…ボリボリパンとかっ…」
古河·母「パキパキパンのほうがいいですか?」
朋也「あの、ちょっといい?」
古河·母「はい、なんでしょう」
朋也「問題はそれ以前にあると思うんだけど」
古河·母「はい?」
朋也「そもそも、パンの中にせんべいなんてものを入れる発想自体が間違ってるってことだ」
古河·母「でも…おいしいですよね?」
朋也「まずいから言ってるんだけど」
古河·母「………」
ぶわっと目に涙を浮かべた後…
だっ!
背中を向けて、走り去った。
朋也「ガキかよ、おいっ!」
………。
誰もいなくなった店内。
俺がひとり、呆然と立ち尽くす。
朋也(この親にして、この子あり、かよ…)
そんな言葉を思い出さずにはいられない。
一体どんな家庭環境なのだろう、この家は。
…徐々に不安になってくる。
せめて、父親だけはまともであってほしいと願う。
声「おいおい、なんてことしてくれんだよ、てめぇ」
殺気だった声がした。
振り返ると、今度は目つきの悪い男が立っていた。
まさか…こいつが古河の父親なのだろうか。
母親と同じで若い。まるで更正しそこなったまま大人になった不良、という感じだ。
古河·父「おめぇなぁ、うまいうまいって食ってりゃいいんだよ」
古河·父「それが義理だろ、人情だろ」
初対面で、そんなものない。
古河·父「真実ってのはいつも過酷なもんだからなぁ」
古河·父「てめぇ、それをまんま突きつけちゃあ、可哀想だろ」
古河·父「おまえだって、突然自分の親から、実はあなたは橋の下で拾った子供なの、なんて告白されてみろ」
古河·父「ちったぁ、ブルーになるだろ。な」
古河·父「だから、あいつのパンはうまいって言っておけ」
古河·父「おい、返事はどうした」
朋也「………」
古河·父「客だからといって、他人ヅラさせねぇぞ」
古河·父「ここら一帯の住民はあいつのパンをうまいと言って食う」
古河·父「これは暗黙の了解だ。掟だ。法律だ」
理不尽だ。
古河·父「守れよ」
古河·父「じゃねえと、しばくぞ、こら」
とんでもない家に来てしまったと、俺は思う。
古河·父「かーっ、今日もよく余ってんな」
男が店内を見回して、ぼやいた。
そして俺の目の前で、次々とトレイに積まれたパンをビニール袋に詰めていく。
古河·父「なんじゃこらぁっ…」
古河·父「ひとつしか売れてないじゃねぇか、早苗のせんべえパンは」
そのひとつは俺の手の中だ。
古河·父「…こいつは磯貝さん家行きだなぁ」
隣近所にお裾分けして回るのだろうか。迷惑な話だった。
古河·父「かーっ、こいつも売れてねぇなぁ!」
朋也(今のうちに、逃げるべきだな…)
俺はそっと踵を返し、店を後にしようとした。
古河·父「あ、てめぇ、その制服、ウチの子と同じ学校のじゃねえ?」
…気づかれた。
古河·父「おい、待てって」
朋也「そうだよ、何かあんのか」
古河·父「てめぇ、渚の友達?」
朋也「ああ。文句あんのか」
古河·父「ちっ…それを早く言えっ」
古河·父「おい、早苗っ! 今夜は盛大にいくぜっ!」
近づいてきて、わっし、と肩を掴まれる。
朋也「帰るんだよ、俺はっ!」
そして、ずるずると引きずられていく。
…ものすごい力で。
抵抗の余地はなかった。
テーブルの上には所狭しと、余り物のパンが並べられていた。
早苗「すみません。渚のお友達だったなんて」
早苗「あは…恥ずかしいです。そうとわかってたら、あんな姿、見せなかったんですけど…」
客には見せまくっているらしい。
古河·父「はっは! 気にすんな、早苗。こいつは頭がイカれてるんだ」
早苗「お客さんにそんなこと言ってはいけません」
まったくだ。
古河·父「まぁ、なんにしてもめでたい。こんなに早く渚が友達連れてくるなんてなぁっ」
早苗「それも男の子ですよ、秋生さん」
秋生「なぁにぃ!? 男だとぉ!?」
今、気づいたのか。
早苗「もしかしたら、ボーイフレンドかもしれませんね」
秋生「かぁっ、こんな優男に渚を渡せるかっ、帰れ、帰れっ!」
朋也「じゃ、帰ります」
秋生「こらぁっ、それでも男かっ! 男なら、力づくでも奪っていくもんだろうがぁ!」
秋生「といっても、渡さんがなっ!」
朋也「どっちだよ…」
早苗「さぁ、たぁんと召し上がってくださいねっ」
古河母が、にこにこと微笑みながらパンを薦めてくる。
早苗「こっちのパンは、人気あるんですよ。とてもおいしいと思います」
きらん、と古河父の眼光が俺を射る。
…暗黙の了解。掟。法律。
嫌な家だ…。
声「ただいまかえりましたー」
秋生「おっ」
秋生「お姫様のお帰りだ」
ようやく古河が帰ってきたようだった。
助かった…のか?
古河「やっぱりもう仲良しになってます」
秋生「おぅ、任せておけ、娘よ」
早苗「渚の友達を退屈させるなんてことはしませんっ」
ぐっ、と拳を付き合わせる三人。
俺はぼぉ~っと、アホのようにその光景を見ていた。
秋生「どうした、アホづらしやがって」
朋也「いや、この家族には関わらないべきなんだろうなぁ、と思って」
秋生「はっは! すでにこの通り、ちょっとキツめのギャグも言い合える仲だぜ」
古河「よかったです」
古河は心底喜んでいるようだった。
これが家族なんだろう…そう思った。
古河「今日の晩ご飯は、パンですか?」
秋生「いや、これはお祝いだからな。こいつに持って帰らせりゃいい」
古河「じゃあ、材料買ってきましたから、作ります」
早苗「ふたりで仲良く待っててくださいねっ」
古河の後を古河母が追った。
秋生「………」
古河父とふたりきりになる…。
秋生「夕飯はまともなもんがでる。安心しろ」
朋也「………」
…逃げ損ねたようだった。
古河「いいお肉があったので、トンカツにしました」
古河「トンカツ、手抜きっぽいですけど、おいしいですから」
古河「こうやって、千切りのキャベツいっぱい付け合わせて、一緒にソースかけて」
これが本来の古河の姿。
よく喋っていた。
こんな家族でもいるだけで、これだけ変わるのだ。
俺は、彼女が本来持つ明るさの半分も引き出せていないだろう。
無性に腹が立つ。
…こんな家族に負けている自分が。
朋也(つっても、会ったばかりだもんな…)
朋也(まだまだこれからか…)
朋也(…って、なに対抗意識を燃やしてるんだよ、俺は)
秋生「うめぇなぁ」
古河「本当ですか? よかったです」
秋生「な、若造もそう思うだろ」
早苗「そういえば、お名前聞いてなかったですね」
古河「岡崎さんです。岡崎朋也さん」
秋生「かぁっ、みみっちぃ名前だな、おい」
秋生「岡崎銀河とかにしとけ。スケールでかいだろ」
早苗「いいですねっ。銀河さん、てお呼びしていいですか?」
朋也「いいわけないだろっ、俺の名は、朋也だ」
秋生「そうしたら、あれだ。名字を大宇宙にしろ。大宇宙朋也だ。こらまたでけぇだろ」
早苗「いいですねっ。大宇宙さんと呼んでいいですか?」
朋也「俺の名は岡崎だ…」
秋生「いちいちケチつける奴だな。早苗、いい案ないのか」
早苗「うーん…コズミック朋也というのはどうでしょう」
秋生「がーはっはっは! それ、最高だっ」
早苗「コズミックさんと呼んでもいいですか?」
朋也「岡崎だっての…」
秋生「なぁ、コズミック。渚の学校での生活ぶりはどうだ」
朋也「岡崎だ…」
古河「えへへ」
冗談だとわかっているのだろう、終始、古河は笑っていた。
それは本当に幸せそうで…
秋生「な、コスモっ」
朋也「変わってるし…」
俺はそんな家族の姿をじっと見ていた。
古河「こんなに遅くなっちゃいましたけど…良かったですか」
朋也「………」
古河「岡崎さん?」
朋也「…なんか不思議だった」
古河「え? なにがです?」
朋也「こんな家族もいるんだなって。すんげぇ仲いいよな」
古河「そうですか?」
本人は至って普通だと思っているようだった。
しばらくその中に居た俺は、居心地の悪さと同時に、何かもどかしい恥ずかしさを覚えていた。
あの感覚はなんだったのだろうか。
いきなり場違いな場所に放り込まれて…子供扱いをされて…
俺は一体何を感じていたのだろうか。
古河の家族と過ごしていた今さっきまでの時間。
それが別の世界の出来事のように思われるような、あまりに違いすぎる空気。
気分が重くなる。
ただ、静かに眠りたい。
朋也(それだけなのにな…)
居間。
その片隅で親父は背を丸めて、座り込んでいた。
同時に激しい憤りに苛まされる。
朋也「なぁ、親父。寝るなら、横になったほうがいい」
やり場のない怒りを抑えて、そう静かに言った。
親父「………」
返事はない。
眠っているのか、それともただ聞く耳を持たないだけか…。
その違いは俺にもよくわからなくなっていた。
朋也「なぁ、父さん」
呼び方を変えてみた。
親父「………」
ゆっくりと頭を上げて、薄く目を開けた。
そして、俺のほうを見る。
その視界に俺の顔はどう映っているのだろうか…。
ちゃんと息子としての顔で…
親父「これは…これは…」
親父「また朋也くんに迷惑をかけてしまったかな…」
目の前の景色が、一瞬真っ赤になった。
朋也「………」
そして俺はいつものように、その場を後にする。
背中からは、すがるような声が自分の名を呼び続けていた。
…くん付けで。
こんなところに来て、俺はどうしようというのだろう…
どうしたくて、ここまで歩いてきたのだろう…
懐かしい感じがした。
ずっと昔、知った優しさ。
そんなもの…俺は知らないはずなのに。
それでも、懐かしいと感じていた。
今さっきまで、すぐそばでそれを見ていた。
子供扱いされて…俺は子供に戻って…
それをもどかしいばかりに、感じていたんだ。
………。
「もし、よろしければ…」
すぐ後ろで声がした。
俺は振り返る。
そこには…ひとりの少女がいた。
気高くも、無垢な。
古河「あなたを…」
言葉を紡ぐ。
古河「あなたを、お連れしましょうか」
ゆっくりと目を閉じ…
古河「この町の願いが叶う場所に」
そう告げていた。
小さな…異世界からの使者が。
張りつめる空気の中で。
一番、その入り口に近い場所で。
朋也「あ…」
俺は声を振り絞る。金縛りにあったような、その体で。
朋也「ああ…」
震える声で…答えていた。
彼女が目を開く。
そして…
古河「こんなところで、なにしてるんですか」
いつもの顔に戻っていた。
ただただ無垢な。
朋也「………」
朋也「いや…別に」
古河「不思議です。さっき家に帰りました」
朋也「そうだな…」
古河「家にご用ですか?」
朋也「いや、別に…」
もう俺は冷静だった。
朋也「ただ帰るには時間が早すぎたからさ…」
古河「だって、もうこんな時間…」
古河「あ、不良さんでしたね。岡崎さんは」
朋也「ああ。不良なんだ」
古河「大変そうです、不良」
朋也「好きでやってるからいいんだよ」
古河「でも、暇そうです」
朋也「古河のほうこそ何してたんだよ。また買い出しか?」
古河「いえ」
きっぱりと否定して、答える。
古河「演劇の練習です」
なるほど、と納得する。
古河「いつも、夜の公園で、練習してるんです」
朋也「こんなに遅くに…危なくないか?」
古河「今日はちょっと遅かったです。いつもはもっと早いです。だから大丈夫です」
古河「それで、戻ってきたら、岡崎さんがいましたから、ちょっと演技見てもらいました」
朋也「そっか…」
古河「何か感想もらえるとうれしいです」
朋也「そうだな…」
もしあれが演技なのであれば…褒めるに値するものなのだろう。
でも、褒め言葉が見つからない。
朋也「早く帰れよ」
古河「………」
古河「…明日は学校休むと思います」
朋也「ばか、冗談だ。真に受けて、勝手にうちひしがれるんじゃない」
古河「岡崎さん、冗談がきついです」
古河「涙出てきました」
目の端を指で拭い始める。
幼い子供のようだった。
古河「岡崎さん、まだ帰らずにどこかいくんですか?」
朋也「ああ、そのつもりだけど」
古河「明日、また遅刻します」
朋也「かもな…」
朋也「でも、いいだろ。不良なんだから」
古河「それは、本当にそうなんですか」
古河「今も信じられないです」
古河「岡崎さん、ぜんぜん不良のひとっぽくないです」
朋也「中にはそういう不良もいるんだ」
古河「お父さんと喧嘩してるって、そう言いました」
朋也「ああ、言った」
古河「それと関係ないですか」
古河「お父さんと顔を合わせると喧嘩になるから、お父さんが寝静まるまで外を歩いて…」
古河「それで遅刻多くなって、みんなから不良って噂されるようになって…」
古河「違いますか」
なんて鋭いのだろう。
あるいは、安易に想像がつくほど、俺は身の上を話してしまっていたのか。
朋也「違うよ」
俺は肯定しなかった。こいつの前では、悩みのない不良でいたかった。
古河「本当に、違いますか?」
朋也「まだお互いのことよく知らないってのに…よくそんな想像ができるもんだな」
古河「できます。そうさせるのは…岡崎さん自身ですから」
古河「きっと何か理由があるんだって、そう…」
古河「そう、思いました」
朋也「………」
朋也「もし、そうだとしたら…」
朋也「あんたはどうするつもりなんだ」
訊いてみた。
古河「岡崎さんは…わたしを勇気づけてくれた人ですから…」
古河「だからわたしも力になりたいです」
古河「勇気をあげたいです」
朋也「父親に立ち向かう、か…?」
古河「それはダメです。立ち向かったりしたら…分かり合わないと」
朋也「どうやって」
古河「それは…」
古河「とても、時間のかかることです」
朋也「だろうな。長い時間がいるんだろうな」
朋也「俺たちは、子供だから」
俺は遠くを見た。屋根の上に月明かりを受けて鈍く光る夜の雲があった。
古河「もしよければ…わたしの家にきますか」
古河がそう切り出していた。
それは、短い時間で一生懸命考えた末の提案なのだろう。
古河「少し距離を置いて、お互いのこと、考えるといいと思います」
古河「おふたりは家族です…だから、距離を置けば、絶対に寂しくなるはずです」
古河「そうすれば、相手を好きだったこと思い出して…」
古河「次会ったときには、ゆっくりと話し合うことができると思います」
古河「それに、ちゃんと夜になったら寝られて、学校も遅刻しないで済みます」
古河「一石二鳥です」
頑張って、たくさん喋っていた。
古河「どうでしょうか、岡崎さん」
古河「岡崎さんは、そうしたいですか」
朋也「ああ、そうだな…」
朋也「そうできたら、いいな」
古河「はい。そうしましょう」
朋也「馬鹿…」
朋也「おまえは人を簡単に信用しすぎだ」
俺は背中を向ける。
古河「岡崎さんは、こんなわたしに声をかけてくれたひとですからっ…」
張りつめた声。
古河「一緒に演劇部の部員、集めてくれるって、言ってくれたひとですから…」
古河「それだけで、わたしには十分、いいひとです」
俺は歩き始めていた。
もう、続きの声は聞こえてこなかった。
4月17日(木)
………。
朋也(夢を見ていたな…)
遠い昔の夢。
しばらく天井を見ながら、その尻尾を辿る。
…思い出せない。
ただ、心が安らぐような…そんな感覚だけが残っていた。
俺は布団から這い出て、着替えを始める。
時計を見ると、すでに一時間目が始まっている時刻だった。
薄っぺらい鞄を手に取り、一階へと下りた。
親父の姿はもうなかった。
散らかったままの部屋を抜け、玄関へ。
靴を履き、戸締まりをして家を後にした。
………。
坂の下。
あいつはまた、そこで立ち尽くしていた。
古河はまた、そこで立ち尽くしていた。
朋也「おはよ」
古河「はい、おはようございます」
朋也「また、どうしたんだよ、こんなところで」
女の子「待ってたんです」
朋也「待ってた…? 俺を?」
古河「待ってたんです、岡崎さんを」
朋也「待ってた…?」
古河「はい、これからは毎朝一緒にいこうと思いまして」
朋也「はぁ?」
古河「迷惑だったら、その…しないですけど…」
朋也「だって、すぐそこじゃないか。この坂を登るだけだろ?」
古河「そうですけど…」
ちらりと校門を見上げる。
この坂を登ること。
未だこいつにとって、それは勇気のいることなのか…。
古河「…やっぱりダメですか」
風にたなびく髪を押さえながら、俺の顔に視線を戻した。
朋也「けど、俺を待ってたら、毎日遅刻するぜ」
古河「いいです。行かないよりは…ずっといいです」
朋也「行けよ、ひとりでも」
古河「…はい。努力します」
朋也「ああ」
その返事を聞いてから、俺は坂を登り始める。
少し離れて、足音がついてきていた。
俺は振り返ることもなく、校門をくぐった。
朋也「…いや、べつにいいけどさ」
こんな俺でも力になれるなら。
それは、少しだけ贅沢なことだと思った。
だから、歩き出す。
朋也「いこうぜ」
古河「はいっ」
ぱたぱたとついてくる。
朋也「今日の昼飯は何にするか決めなくていいのか」
古河「いいです。岡崎さんが一緒に登校してくれたら、それだけでがんばれます」
朋也「そっか」
朋也「ならさ、一緒に昼、買いにいこうぜ」
朋也「どうせ購買のパンだろ?」
古河「はい」
また妙な約束をしたものだと…後になって思った。
椋「あ…あの…岡崎くん…」
朋也「あー…?」
特にすることもないので、寝ようと机に身体を預けたところを、藤林が話しかけてきた。
椋「こ…これ…」
朋也「あぁ…プリントね…HRん時の?」
椋「は、はい」
朋也「ありがと」
俺は手だけを伸ばして藤林からプリントを受け取った。
そしてそのまま机に押し込む。
椋「………」
朋也「………」
椋「………」
朋也「…まだ何かあるのか?」
椋「あ…いえ…」
委員長はそそくさと立ち去った。
昼休みになっても、春原はいなかった。
朋也(いたら、振りきるの大変だからな…助かった)
俺はひとり、教室を後にした。
朋也(確か…クラスはBだったか…)
教室を出て、廊下を見渡す。
通行人の邪魔にならないように壁にくっついて、古河が立っていた。
目が合う。
顔を綻ばして、とことこと寄ってきた。
朋也「遅れて、悪い」
古河「いえ」
古河「岡崎さんのほうこそ、大丈夫でしたか」
古河「岡崎さん」
古河「大丈夫でしたか」
朋也「何が?」
古河「他の人と、いかなくてよかったですか」
朋也「ああ、大丈夫」
古河「そうですか。よかったです」
古河「では、いきましょう」
朋也「ああ」
並んで、歩き始める。
ていうか…
女の子と校内を歩く、というのはやたら恥ずかしいものだな…。
何気なく、隣を歩く女の子の横顔を見る。
朋也(どっちかというと、羨ましがられるのかな…)
古河「………」
古河「…え? なんでしょうか」
朋也「いや…」
パン売場の前は、相変わらず商品台に近づくだけでも困難なほどの混みよう。
古河「今日は、いつもよりも人が多いようですけど…」
朋也「だな…」
古河「わっ…」
今、古河の脇を駆け抜けて、ひとりの男子生徒が果敢に人波の中にダイブした。
生徒「う………うわあああぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーっ…」
そのまま揉まれ、藻屑と消えた。
古河「………」
古河「帰りましょう」
朋也「大丈夫だって。俺が買ってきてやるから」
朋也「だから、何が食いたいかだけを言え」
古河「あんパンでいいです」
朋也「かぁっ…んなもん、わざわざこの時間に来なくても買えるだろ?」
朋也「今しかないものを言え」
古河「それじゃあ…贅沢言います。いいですかっ」
朋也「ああ、こい」
古河「えっとですね…」
ぐっと、両手を握る。
古河「二色パンをお願いしますっ」
朋也「なんだそれ」
古河「ひとつのパンの中に、クリームとチョコが入ってるんです」
古河「それはそれは不思議なパンなんですっ」
力説していた。
朋也「ふぅん。そんなものがあったのか、知らなかった」
クリームやらチョコが入っているような甘いパンにはまったく興味がなかった。
朋也「じゃ、行ってくる。生還を祈っていてくれ」
ぐっ、と親指を立ててみせる。
古河「あなたに神のご加護がありますように」
古河も、演劇っぽく胸で両手を合わせてみせた。
朋也「よし」
俺は人混みのわずかな隙間に体を割り込ませる。
そして行く手を阻む生徒たちを腕で押し分けながら、突き進む。
途中…見慣れた後頭部を見つける。
朋也(春原っ…)
朋也(こいつは、授業も出ないで、なんでこんなところに…)
俺はその肩を引っ張る。
朋也「おいっ」
春原「あんだよっ!」
春原「…て、なんだ、岡崎か」
朋也「おまえ、こんなところで何やってんの」
春原「当然、パンを買いにきたんだよっ」
朋也「なんだ? 今日は何かあるのか? この混雑ぶり、異常だぞ」
春原「おまえ、そんなことも知らないでよくもまぁ…」
春原「見ろよ」
春原が指さす先…天井に吊り広告が下がっていた。
そこには、『新発売·竜太サンド150円』とある。
朋也「なるほど…」
ようやく納得できた。
春原「先週の告知から、生徒の間ではあれの噂で持ちきりだったんだ」
朋也「噂するほどのもんかね…」
春原「何? なら、おまえにはわかるのか。竜太ってのが一体何者なのか」
朋也「りゅうた?」
春原「よく見てくれ。竜田(たつた)じゃないんだ。竜太(りゅうた)なんだ」
本当だ…。
春原「竜太という名前の人が考案した未知の具だという線が、いまんところ濃厚だが、実際どうだかな…」
春原「謎が謎を呼ぶぜ…」
いや、間違いなく竜田の誤植だと思うが。
春原「おわっ!?」
がくん、と春原の肩が下がる。
春原「足を人波にすくわれたっ!」
春原「助けてくれ、岡崎っ!」
手を伸ばしてくるが、俺は身を引いてそれをかわした。
春原「そ、そんなっ…岡崎!? 僕たち友達だろっ!?」
朋也「悪い、春原…俺はそんなふうには思ってなかったんだ…」
春原「う…」
うわあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーっ…
人波に揉まれ、藻屑と消えた。
朋也「つーか…俺もうかうかしていられないぞ…」
混雑は時間が経つにつれ膨れ上がり、暴動寸前の様相を呈していた。
朋也(てめぇら、そんなに誤植パンが欲しいかよっ)
闇雲に突進。
そして…
朋也「買えた…」
手には目的の二色パンと自分用のサンドイッチ。
朋也「…お待たせ」
古河「ありがとうございます。大丈夫でしたか?」
朋也「ああ、なんとかな」
古河「恐いところです、購買って」
朋也「そうだな…」
新商品でこれだけの騒ぎになるなんて、よほど勉強に疲れてるのだろう。
そして、中庭で昼食。
まるでそれは、ずっと繰り返してきた日常のように、穏やかな時間だった。
はみ出し者同士だからだろうか。こんなにも落ち着くのは。
朋也(はみ出し者なんていったら、こいつに悪いな…)
隣を見る。
一心にパンをかじっている。
面白いほどに、一生懸命だった。
そんなふうに、こいつはいつでも、懸命だったはずだ。
結果が、こうして伴わなかっただけ。
俺とは違う。
じっと見つめている俺の視線に気づきもしないで、古河はパンを食べ続けた。
やがて…
古河「ごちそうさま」
包装紙を折り畳んで、ポケットにしまい込んだ。
古河「とてもおいしかったです」
それでも、俺は古河の顔を見続けていた。
古河「………」
目が合う。
古河「あのっ…」
朋也「うん?」
古河「もしかして、口の端になにかついてますか?」
朋也「いや、ついてないよ」
古河「じゃあ…何を見てるんでしょうか」
朋也「あのさ、古河」
古河「はい」
朋也「おまえって、かわいいと思うよ」
古河「はいっ…?」
朋也「天性のものだよ、それ。みんな、おまえのこと知ったら、みんな好きになるよ」
朋也「友達たくさん、できるよ」
古河「落ち込んでないのに励まされると、落ち込みます」
朋也「いやっ…別に励ましてなんかないって。感想だよ。第一印象」
朋也「ほら、俺たちはまだ知り合って間もないから、真に受けていいぜ」
古河「うーん…」
朋也「真に受けろっ」
肩をつかんで、言い聞かせる。
古河「そ、そんなヘンですっ」
古河「強要されても…」
朋也「…だな」
すぐ自分の行動のおかしさに気づく。
朋也「はぁ…」
座り直す。
すると、正面、校舎三階の窓に映る女生徒と目が合った。
朋也「ほら、今日も手、振ってみろよ。笑顔で」
古河「そんなこと、もうしないです」
古河「岡崎さん、ひとりでしてください」
朋也「だから、男の俺がそんなことしたら、気持ち悪がられるって」
古河「そんなことないです。岡崎さん、背、高くて、かっこいいですから…」
古河「だから、たくさん女の子寄ってきて…」
古河「わたしなんか押しのけられて…」
古河「………」
朋也「そっか。そうだな。そうなるとおまえの相手、してやれなくなるからな」
朋也「やーめたっ」
古河「真に受けないでください」
朋也「…おまえなっ」
朋也「このやろっ」
頭を小突いてやる。
古河「は…」
古河が笑う…
いや、笑ってなかった。
笑いかけたのに…。
俺は古河の視線を追う。
その先には、校舎の三階の窓。
人影は消えていた。
朋也「あのさ、古河…」
古河「はい」
朋也「部室、いくか」
古河「そうですね」
古河が立ち上がり、ぱんぱんとお尻を手で払った。
朋也「時間どれぐらいある?」
古河「予鈴まで二十分ほどあります」
朋也「よし。じゃあ、その時間を使って、部員募集の告知を作ろうぜ」
古河「はいっ」
力強く、古河は頷いた。
ふたりがかりで、A4用紙にマジックペンで文字を書き連ねていく。
朋也「まずは説明会の日取りを決めて、そこで説明だな」
古河「日取り、いつにしましょう」
朋也「近すぎても部員が集まらないからな…二週間ぐらいみといたらどうだ」
古河「はい。5月から活動開始ということで、とてもキリがいいです」
そううまくいけばいいが。
キュッキュッ。
古河「できました」
朋也「うーん…なんか足りないと思わないか?」
古河「さぁ、なんでしょう…」
俺が足りないと思うのは…
朋也「イラストだ」
古河「そうですね。あれば、可愛いと思います」
朋也「というわけで、古河、描け」
古河「わたしがですか?」
朋也「おまえの他に誰が描く」
古河「岡崎さん」
朋也「ちなみに俺は美術は1だぞ」
古河「わたしも、得意な科目じゃないです」
古河「中学生の時、自画像描きませんでしたか」
朋也「ああ、描いた」
古河「一生懸命描いたのに…先生に、美味しそうなカレーライスですね、って言われました」
朋也「俺は頑丈そうなキャッチャーミットだな、と言われたぞ」
古河「カレーライスとキャッチャーミットですか」
朋也「それはどっちのほうがヘタなんだろうな」
古河「わたしは福神漬けまでついてるって言われました」
朋也「俺なんて、普通のグローブで良さそうなもんじゃないか。どうして、よりによってキャッチャーミットなんだ」
古河「………」
朋也「………」
朋也「…絵のうまい奴、連れてくるか」
不毛な言い合いに嫌気が差して、俺は立ち上がる。
古河「あ…待ってください」
朋也「あん?」
古河「やっぱりわたし、描きます」
古河「わたし、部長ですから」
朋也「だな。それにこしたことはねぇ」
座り直す。
古河「なに描けばいいですか」
古河が色ペンを手に持って訊く。
朋也「そんなの自分で考えろ」
古河「うーん…」
朋也「得意な絵はなんだ」
古河「なんでしょう…」
朋也「カレーライスか」
古河「ちがいますっ」
思いっきり否定された。よほど、嫌な思い出なのだろう。
古河「簡単な絵でもいいですか? それだったら、ひとつだけ得意なのがあります」
朋也「いいよ。可愛かったら」
古河「ものすごく可愛いですっ」
言って、ペンを動かし始める。鼻歌を歌いながら。
それはどこかで聞いたことのあるメロディだった。だけど、なんだったかは思い出せない。
気になって、覗き込むと、小さな丸の中に顔を描いていた。
ひとつが出来たかと思えば、次々と同じものを連ねていく。
部員募集の告知は、たちまち謎な生き物によって占領されていく…。
古河「できました」
胸を張ってビラを見せてくれる。
朋也「ぐあ…」
…隙間なく、謎の生物に埋め尽くされていた。
朋也「アホな子か、おまえはっ!」
古河「はい?」
朋也「見ろっ、文字が読めないだろっ!」
古河「そうですね…読みづらくなってしまいました」
朋也「どうして、わけのわからない謎な生き物をこんなにたくさん描いたんだよ…」
古河「謎じゃないです。すごく有名です」
朋也「なんだよ」
古河「だんご大家族です」
朋也「だ、だんご大家族…」
それは一昔前に大流行した歌のタイトルだった。
確か、幼児向けの番組で使われていたものだ。
朋也(そうか、さっきのメロディはそれだったのか…)
日本人なら誰でも知っている。
古河「だんご大家族は大家族なんです。だから、たくさんいるんです」
朋也「ずばり言おう、古河」
古河「はい」
朋也「おまえのセンスは最悪だ」
古河「え…」
朋也「何年前のシロモノだよ、だんご大家族って」
朋也「すでに死語だぞ、死語」
古河「そんな…古いことなんて関係ないです。可愛いものは、いつ見たって可愛いはずです」
朋也「可愛いかもしれないけど、もう廃れてしまったものなんだぞ、これは」
朋也「おまえさ…流行り廃りにうといんだな…」
古河「そうなんでしょうか…」
古河「わたしの中では、今も可愛いんですけど…」
朋也「そっか…そりゃ良かったな…」
俺は頭を抱え込む。
これなら俺が、キャッチャーミットを描いていたほうがマシだったかもしれない。
朋也(このビラを見たら、普通の人間は一歩引くぞ…。ギャグならまだしも、マジでやってんだからな…)
古河「だんご大家族、ダメなんでしょうか…」
俺の様子を見ていた古河が、気を落とし始めていた。
朋也(まずいな…)
このまま、失意の底に落としてしまうわけにもいかない…。
朋也「いや…悪くはないんだけどさ…」
古河「でも、ずばり言われました。最悪だって…」
朋也「いや、おまえのセンスが最悪だと言ったのであって、決してだんご大家族に対して最悪と言ったわけじゃないぞ」
かなり苦しい言い訳である。
古河「そうなんですか。複雑な気分です」
あまり納得はしていないようだったが、どうにか切り抜けられそうだった。
朋也(うーん…)
ビラもじっと見ていると、部長である古河の人柄を表しているのだから、嘘を付いて飾るよりはずっとかマシな気がしてきた。
朋也「ともかく。ある意味、味のあるビラが完成した、というわけだ」
朋也「めでたし、めでたし」
話を強引にまとめて、俺はそのビラを持って立ち上がる。
古河「どこにいくんですか?」
朋也「コピーだよ。枚数揃えて、放課後に貼って回ろうぜ」
朋也「今日できることは、それぐらいだ」
古河「あ、はいっ」
その後、職員室でコピー機を借りた後、散会とした。
教室に戻ってくると、春原が机に突っ伏していた。
おそらく、噂の竜太パンを手に入れることができなかったためだと思われる。
今さっき食ってきたが…
何だったかと訊かれても、何と答えればいいかわからなかったので、黙っておくことにした。
おそらく、例の新商品を手に入れることができなかったためだと思われる。
放っておくことにした。
放課後になっても、意気消沈したままの春原をひとり残して、俺は教室を出た。
向かう先は、演劇部の部室。
そんなに急いできたつもりはなかったのだが…古河の姿はなかった。
朋也(なにやってんだろ、あいつ…)
朋也(あいつ、とろそうだからな…)
………。
待ってもこない。
暇だから、黒板の端に落書きをしてみる。
『日直 古河渚』
………。
書き終えて、しばらく経っても現れない。
何かあったのだろうか。少し心配になってきた。
朋也(仕方のないやつめ…)
朋也(まさか、隣の教室と間違えてるんじゃないだろうな…)
朋也(あいつなら、ありえそうで、なんか嫌だ…)
別の場所…となると、後は中庭ぐらいだろうか。
窓から見下ろしてみる。
そこに、ひとりでいた。
朋也「くわ…何やってんだ、あいつ…昼休みと間違えてんのか?」
朋也「あいつのことだから、ありえそうだよな…ったく」
階段を下り、中庭へと向かった。
いつもの昼を食べる場所に座っていた。
俺は近づいていく。
朋也「おまえさ、昼休みじゃねぇんだぞ。なにやってんだよ、こんなところで」
古河「………」
古河は竹ぼうきを持っていた。
黙って、その柄を手の中でくるくると回し続けている。
どうも、また落ち込んでいるようだった。
朋也「どうした。何があった」
隣に座る。
くるくる…
ふたりの足の先で、竹ぼうきの先端が砂を巻き込みながら回っている。
朋也「掃除当番か。そうなんだろ?」
古河「…はい」
ようやく答えてくれた。
朋也「で、どうした。掃除しないのか」
古河「してました」
朋也「してたんだな。それで、どうして途中でやめた?」
古河「えっとですねっ…」
古河「それは…」
しばし考え込む。
そして、唐突に立ち上がる。
古河「岡崎さんに話すようなことではないです」
言って、歩いていこうとする。
朋也「ちょっと待てって!」
俺も立ち上がって、その後を追う。
朋也「わけわかんねー奴だな、おまえは」
朋也「なんだよ、俺まで悪者か?」
古河「違います…岡崎さんは、いいひとです」
朋也「別にいい人とまで言ってくれなくていいけどさ…そうだろ、おまえには危害を加えない人間だ」
古河「そうです」
朋也「なら話してくれればいいだろ。いつものように」
古河「わたし…岡崎さんを巻きこんじゃっています…おもしろくもないことに」
古河「岡崎さんの貴重な時間を無駄にさせちゃっています」
朋也「そんなことないって。面白いよ、十分」
朋也「って、言っちゃあ、悪いよな…」
古河「………」
古河は立ち止まって、そこでも箒の柄を回していた。
それをじっと眺める俺。
ふと…違和感を覚える。
冷めた自分が違う場所で、こっちを見ていた。
朋也(なにやってんだろうな、俺は…)
少しだけ、時間を忘れていた。
その間、古河は黙ったまま、俯いていた。
朋也(とりあえず今は、こいつを元気づけないとな…)
朋也(食べ物、食べ物、と…)
俺は、食い物を探してみる。
こいつの好きなもの…なんだろう。
朋也(だんご大家族…か?)
当時は、そのキャラクターを模した大量のだんごの詰め合わせが、どこのスーパーでも売っていたものだ。
朋也「古河は…だんご、好きだよな」
古河「はい」
朋也「なら、だんご大家族って言え」
朋也「それで、頑張れ」
古河「だんご大家族、売ってますでしょうか」
朋也「どうにかなる。俺がなんとかしてやる」
朋也「だから、だんご大家族って言って頑張れ」
古河「………」
古河が目を閉じる。そして…
古河「だんご大家族っ」
そう力強く、言っていた。
朋也「どうだ。落ち着いたか」
古河「はい…」
目を開けた彼女は、少しだけ前向きでいた。
朋也「何があったか話すのは後でいいから」
朋也「だから、今は、やるべきことをやってこい」
古河「はいっ」
手の箒をぐっと握って、歩いていく。
だんご大家族の効果は絶大なようだった。
俺はその背を見送った。
その後、古河とふたりで、校内の掲示板にビラを貼りつけて回った。
ひと月遅れの、部員募集。
他の部活の募集はすでに打ち切られていたから、一枚だけの目立つ告知となった。
最後の掲示板に貼りつけたビラを、感慨深げに俺はじっと眺めていた。
その隣で古河は、まだ元気なく、黙ったまま突っ立っていた。
朋也「じゃ…」
朋也「だんご大家族、買って帰るか」
元気づけるように言って、掲示板の前を離れた。
朋也「ひとつ訊いていいか」
古河「はい」
朋也「もし、な…」
古河「はい」
朋也「もし…だんご大家族、売ってなかったら、どうする」
古河「え…?」
泣きそうな顔で、こっちを見る。
朋也「いや、冗談」
帰り道、ふたつのスーパーに寄ってみたが、だんご大家族は売ってなかった。
古河「………」
古河は今にも泣きそうな顔をしていた。
掃除中に何があったかは知らない。
けど、そこで挫けそうになった彼女は、だんご大家族を糧にして、どうにか乗りきったのだ。
朋也(すると、手に入らなければ、さっきの状態に逆戻りか…)
なんとしてでも手に入れなければ…。
古河「古いものですから…なくって、当然です…」
古河「だんご大家族なんて、みんなもう、欲しくないんですよね…」
古河は諦めかけていた。
朋也「ちょっと待てよ…」
俺は古河に背を向けて、財布の中身を探る。
朋也(やるしかないのか…)
朋也「古河」
古河に向き直り、呼びかける。
古河「はい」
ものすごく辛そうな顔をあげる。
朋也「おまえ帰ってろ。だんご大家族は俺がなんとかしてやるから」
古河「…本当ですか?」
朋也「本当だったら、古河は嬉しいか」
古河「はい、とてもうれしいです」
朋也「よし、なら今は耐えて帰れ」
古河「ですが…」
朋也「それ以上は何も訊くな」
古河「なにか、とても迷惑なことを…」
朋也「いいから黙って、帰れ」
古河「………」
古河「はい…」
少し不安げに頷いてから、背中を向けて、とろとろと歩き出す。
朋也「帰り道、泣くなよ」
そう最後に声をかけて、俺も踵を返した。
スーパーに戻り、だんごをありったけ買い占めるために。
朋也「ふぅ…くそ重かったぞ」
ぱんぱんに膨らんだスーパーの袋を床に置き、自らも腰を下ろし落ち着く。
そして、袋からだんごの入ったパックを取りだし、その封を解く。
朋也(どんな顔だったかな…)
ひとつのだんごを指でつまんで、思案する。
朋也(確か、こんな感じか…)
一緒に買ってきた食紅と竹ひごを使って、そのだんごに顔を描く。
朋也「む…いい出来」
朋也「しかしバカらしい作業だぞ、これは…」
だんご大家族とは、確か百人ぐらいの家族だったはずだ。
…今からそれを作ろうというのだ、俺は。
朋也(やるしかないよな…あいつ、また落ち込むからな…)
てんてん…てんてん…。
食紅をつけていった。
いつの間にか一時間も経っていた。
終わりも近い。
朋也「ふぅ…」
ため息をついたところで、喉の渇きに気づいた。
唾も飲み込めないほどだった。
朋也(ものすごい集中力だな…)
朋也(俺って、こういう単純作業が向いてるのかも…)
水を飲みに立ち上がる。
部屋に戻ってくると…
そこに、親父がいた。
その姿を見たとたん、胸の中に溜まっていた何かが、どろりと波打った。
嫌な気分になる…。
朋也「何やってんだよ…」
かろうじて、そう切り出した。
親父「これはあれだろう、ほら…」
顔のついただんごを指でつまみ上げ、微笑む。
親父「そう、だんご大家族だ」
親父「懐かしいね…」
朋也「………」
俺は黙ったまま、入り口のところで立ち尽くしていた。
親父「これは…どうするんだい」
朋也「………」
親父「ね、朋也くん」
朋也「…人にやるんだよ」
親父「そうか…友達にかい」
朋也「ああ」
親父「なら、私も手伝わせてくれないかい」
朋也「どうして」
親父「朋也くんの友達なら、そうしてあげたい」
親父「話をするきっかけにも…なるかもしれないからね」
もう勘弁してほしかった。
これは計算高い嫌がらせなのだろうか。
どうして…親父が俺の連れてきた友達と話をする必要がある?
あんたは、俺の親父じゃなかったのか?
単なる話相手なのか?
俺の連れてきた友達も、巻き込もうとしてるのか?
訊きたかった。
答えてほしかった。
親父「こういうのは得意なんだ」
親父が竹ひごを手に取る。
朋也「やめろっ!」
俺は駆け寄って、その腕をひっぱたいていた。
親父「………」
呆然と俺の顔を見上げる親父。
朋也「やめてくれ…」
朋也「関係ないだろ、あんたにはっ」
俺は、親父が一番堪える言葉を選んでいた。
親父「………」
案の定、頭を垂れる。
しかしその姿すら、俺への当てつけに見えた。
それは、我が子じゃない…友人に傷つけられた奴の姿だったからだ。
俺は、机一杯に広げられただんごを乱暴にかき集める。
それをスーパーの袋に詰め込むと、親父の姿も顧みず、部屋を後にした。
もう嫌だ。
ここに俺の居場所はない。
本当の俺の居場所はない。
偽りの自分しか居られない。
そんなの嫌だ。
たくさんだ。
もう、たくさんだ!
朋也「はぁ…はぁ…」
息が上がりきっていた。肺が痛い。
全身が、強烈な疲労感に襲われていた。
自分がどんな格好で走ってきたかさえ、わからない。
ただ、気づけばこんな場所まで来ていた。
朋也「あ…」
真っ直ぐ先に、古河が立っていた。
朋也「古河…」
俺は近づいていく。その足取りもおぼつかない。
朋也「古河」
名前を繰り返して呼んだ。
古河「はい」
と彼女は返事をした。
けど、俺は…何も言い出せないでいた。
どうしたかったのだろうか、俺は…。
古河「……?」
小首をひねる彼女。
息を切らせて立ち尽くす俺。
古河「疲れてるんですか?」
朋也「いや…べつに…」
古河「あの、それは?」
そう訊かれて、ようやくその存在を思い出した。
手にさげた、スーパーの袋を。
朋也「ああ…これか。おまえにやる」
古河はそれを受け取ると、中身を覗き込む。
そこには、顔付きのだんごたちがひしめき合っているはずだ。
古河「わぁ…だんご大家族です」
朋也「ああ、そうだ」
古河「本当に大家族です」
朋也「ああ、大家族だな」
古河「わたしも、仲間に入れてもらいたいです」
朋也「ああ、そうしてもらえ」
古河「えへへ…」
顔を綻ばせて、ずっと袋の中を覗いている古河。
その姿を見ていた俺は…
いつしか落ち着きを取り戻していた。
それからずっと、ふたりで公園にいた。
ベンチに腰を下ろし、誰も乗っていないブランコを眺めていた。
古河「しばらく、カレー画伯って呼ばれてたんです」
朋也「あん?」
唐突に言われて面食らう。
古河「自画像の話です」
朋也「ああ、昼の話の続きか」
朋也「俺はキャッチャーやらされることが多くなった」
古河「お互い災難でしたね」
朋也「まったく。絵はうまいに越したことはない」
古河「はい、そうですよね…」
古河「いつも、いつだって不器用で…」
古河「そうやって、からかわれたりすることが多かったです」
古河「それは…今もです」
古河の顔を見る。胸を両手で抑えて、痛みを堪えているような表情だった。
古河「気づいたら、ひとりでした」
それは、放課後に起こった事の話だとすぐに気づく。
古河「掃除、まだ終わってないのに…」
古河「中庭にわたしひとりぼっちでいました…」
朋也「そっか…」
俺は支えられた。こいつによって。
いや、支えられた、というのは違うような気がする。
こいつは笑っていただけだから。
でも、それを見ているだけで、俺は自分を取り戻すことができた。
朋也「おまえさ…」
なら、俺はこいつにしてやれることがあるだろうか。
もし、ひとつでもあるとすれば…
なら…
…一緒にいてもいいかもしれない。
朋也「ひとりで泣いてるぐらいだったらさ…」
朋也「俺を呼べよ」
朋也「そうしたら、ひとりじゃなくなるだろ」
古河「それは…」
古河「…迷惑です。岡崎さんに」
朋也「違うんだよ、古河」
…俺がそうしたいんだよ。
朋也「迷惑なんかじゃない」
朋也「気を使ってもらうほど、俺には都合なんてないからさ」
朋也「迷惑はかからない。どうせこっちも退屈してんだ」
古河「………」
古河「わかりました」
古河「泣きそうになったら、呼びます」
朋也「ああ、そうしてくれ」
古河「でも、呼ばないように、できるだけがんばります」
朋也「そうだな。それも大切だな」
古河「はい」
朋也「でも、呼んでもらえないと…」
…なんとなく、寂しい。
いや、でも、そのほうがいいのか。
頑張ってるってことなんだからな…。
朋也「………」
なんだかよくわからなくなってきた…。
古河「呼んでもらえないと、なんですか」
朋也「…え?」
古河「退屈ですか」
朋也「ああ…そうだな、退屈だ」
古河「では、がんばっていても、呼ぶことがあるかもしれません」
古河「そんなことしちゃっても、いいですか」
朋也「ああ、全然オッケー」
朋也「…退屈だからな」
古河「はい」
腹が鳴る頃、古河の家のほうから、ふたつの影が近づいてきた。
それだけでわかる。古河の両親だった。
秋生「渚、そろそろ戻れよ」
朋也「ちっす」
俺は挨拶をする。
秋生「お、コスモ斉藤じゃねえか」
早苗「あら、大宇宙太郎さん」
ふたりとも、一文字すら合っていない。
古河「岡崎さんです、お父さん、お母さん」
秋生「ああ、そんなちんけな名前の奴だったな」
秋生「おぅ、そうだ…そんな壮大な名前の奴だったな…」
早苗「また、遊びにいらっしゃったんですか」
朋也「えっとですね…」
秋生「男なら、力づくで奪っていきやがれぇっ!!」
秋生「といっても、渡さんがなっ」
早苗「秋生さん、誰もそんな話、してないですよ」
秋生「おっと、早とちりか。すまねぇ」
豪快な早とちりだった。
どうもこの人とは一生、まともな会話が成立しない気がする。
早苗「岡崎さん、家にあがっていってください」
秋生「そうだそうだ。こんなところで、こそこそと愛人のように会ってんじゃねぇ」
早苗「どうですか? それとも、親御さんが心配されます?」
朋也「いや、それはないけど…」
今日は古河によって、救われたから…
朋也「帰るよ」
そうすることにした。
秋生「そっか。帰れ帰れ」
早苗「そうですか…。残念ですね」
早苗「また明日来てくださいね」
朋也「はぁ」
朋也「じゃあな、古河」
三人とも返事をした。
秋生「ちっ、俺に言ったんじゃねぇのかっ」
秋生「って、年下に呼び捨てにされて素で返事してる俺って、なんなんだぁぁっ!」
秋生「てめぇ、今度から秋生様と呼べぇっ!」
早苗「まぁまぁ、秋生さん」
秋生「秋生様だっつーのっ!」
早苗「はいはい、秋生様っ」
まったく笑える家族だった。
古河「おやすみなさいです、岡崎さん」
古河の笑顔を目に焼きつけて、その場を後にした。