能登麻美子的翻译
这是能登麻美子在3月30日写得文章的翻译,主题是关于东日本大地震的,一直想翻译一下,可是没有时间。现在放暑假了,利用这段时间做了这个翻译,自认为做的很不好,希望大家把错误和不足之处指出来。
以下是原文:
第24回 東北地方太平洋沖地震への思いと祈り
皆さん、こんにちは。
今月もこのコラムを通して皆さんにお会い出来ますこと、
大変嬉しく思います…。
と言えなくなってしまったこと。
本当に悲しく、辛く、言葉になりません。
コラムを通してお会い出来ていた方々に、お会い出来なくなっている…。
その方々の様々な状況を思うと、存在を想うと、
今回のコラムをどう書こうか、思いが複雑すぎてただただ言葉を失うばかりです。
東北地方太平洋沖地震で被害に合われた皆様。
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
今、この時、皆ひとりひとりが、それぞれ自分は何が出来るだろうと強く問い掛けているのではないのでしょうか…。
それぞれの場所、立場から皆が同じ思いを持ち、考え、行動しているのではないでしょうか…。
多くの報道に触れながら、とても印象的だったのが
被災地の方々の声の中で、他者を思い遣る言葉の多さでした。
皆さんもそれぞれに大変なはずです。辛いことも多いはずです。
様々なお声がありましたが、他の人達を思い遣る気持ち、感謝の気持ち、
前を向こうとされている気持ちの多さに私は人は繋がっていると、強く強く感じました。
暖かい、何か言葉には表し難いものが込み上げてきました。
決して〝己〟では完結できない深い連帯感を人は皆本能的に持っている…。
相手の思いに感応する力、我が身に寄せる力、我がことのように感応する力…。
感じるからこそ理解できる、理解し合える。
支え合っていこうとする…。
そういうものが、人間の中には組み込まれているものではないか…と思いました。
それは最後の最後は国境なども越え、〝人間〟という単位にまで広がる気がします。
人には様々な側面があって、それは決して美しい部分ばかりではないと思います。
でも人は素晴らしい部分、暖かい部分もたくさんあって、それを汲み上げていける
選択していける生き物だと思いました。
深い深い悲しみの中で、希望の光の様な…。
人の暖さ、温もり、連帯感、優しさ、尊さ、素晴らしさを感じました。
話が前後するといいますか、交錯しているかもしれませんが、
私自身は日が経ち、様々な報道にずっと触れながら自分の無力感も感じていました。
〝何かしたい〟という思いばかりが先立ったこともありました。
大変な方々、苦しんでいる方々が多勢いる中で、こんな風にすごして良いのかな…と
思ったこともありました。
〝電気〟に対しての意識がまだまだ低かったことも気付きました。
様々なことを感じ、考え、一巡りし、辿り着いた場所は〝忘れないこと〟〝祈り〟
そして〝日々を丁寧に生きること〟〝自分の場所で、自分の場所からやれることをする
還していく〟ということでした。
大きく捉える目も大事です。
でも、まずは、小さな単位でも自分の日々の営みの中から結果、繋がっているものは本当に多く様々あります。
気付いたら見つめ直し、考え、やれることの中で取り組むこと…。
感謝してひとつひとつ丁寧に、繋がる先を想い還していくこと、納めていくこと…。
そして、人はどうしても〝慣れる〟という言葉が適切かどうか分かりませんが
心に刻まれたものが弱くなっていく部分があるように思います。
でも、忘れないこと。
今、この時も、その人達の時間と共に生きていることを忘れないこと、感じ続けていくことが大切である様に思いました。
その気持ちは祈りに繋がります。
私はもし、逆の立場であれば、多くの人達が自分達を想いながら生きてくれている、
励ましを届けてくれていると思うとそれだけでもとても心強くなれる気がしました。
祈りは連帯に、皆がひとつであることに繋がります。
そこから生まれるものの多さ、未来の光を私は願ってやみません。
そして、最後になりましたが、長くやらせて頂いたこのコラム、
次回が最終回になります。
アボコムさんのこの場所でこうやってお伝えさせていただくのは次回が最終回になりますが、いつまでも、変わらずに想っています…。
皆様のことを…。
そして、長くこのご縁を下さったアボコムさんに心から感謝致しております。
ありがとうございます。
皆様、又、次回、お会い出来る時まで…。
2011.3.30 更新
下面是我的翻译:
大家好。这个月又能够通过这个专栏和大家交流,真的是感到十分开心。说什么样的话题是件很困难的事情。其实真正想说的是非常悲伤、艰辛的话。通过专栏交流和我交流的人当中,有些人再也无法进行交流了。一想到那些人的状况,想到这件事的存在、这次的专栏要怎么写?因为想得过于复杂完全不知道要怎么组织语言。在东北地方太平洋冲地震中受害的各位。我衷心地表示对受灾各位的问候。现在,这个时候,大家每一个人,一定都在问各自到底能些什么了……?处于各种各样位置,立场的大家不是持有并且考虑共同的想法,这在行动着吗?接触了大量的报道,给我留下了很深的印象。受灾地区的人们的声音当中,有很多考虑着他人的言语。大家每个人一定也有着各种各样不容易的地方。艰辛的之处一定很多。有着各种各样的心情,考虑着他人的心情,感激的心情,我非常强烈地感受到了人们向着前方将大家团结起来的心情。很温暖,涌出了一些难以用言语表达之物。一定,人的本能中有着只是“己”就无法完结的强烈的在一起的感觉。感受到对方的力量,接近自己身体的力量,把他人的事情当成自己的事情来考虑的力量。真是因为能够感受得到所以能够理解,能够相互理解。能够做到相互支持……。正是这种东西,人类得以组成集体。这是最终超越国境,以“人”为单位扩展的信仰。人有很多方面,绝对不是全部都是美丽的方面。但是人是有很多美好的部分,温暖的部分,并且选择吸取这些美好部分的生物。在沉痛的悲痛之中,希望之光的样子……。我感受到了人间的温暖、温馨、团结、温柔、尊重、美好。说话要前后关系一致比较好,我今天可能说的很有点混乱,我自己每一天一直在关注着各种各样的报道,同时感觉到了自己的无能为力。先在脑子里想着,“想做些什么”。也想过,在很多不容易,受苦受难的人群当中,能有这样的风气也不错了。我对于节电的意识还不是很强。感受,思考着各种各样的事情。决定到了好不容易到达的地方“请不要忘记”“祈祷”然后“认真地对待自己每一日的生活”“在自己的环境中,做些在自己的环境中能够做的事情来帮助灾区”。能够把握的大事当然很重要。但是,首先,即是微不足道,能够从自己的每日的日常生活当中开花结果的事情真的各种各样。注意到的话就去改正,考虑,在自己的能力范围内能做的事……对每一个人礼貌地表示感谢,想想能够联系到得地方并且付诸实施。接受现在的现实……。然后,我并不明白说人类是很容易“适应”的动物。在心中印刻之物应该是有软弱的部分的。但是,请不要忘记。请不要忘记现在,这个时候也有很多人和他们活在一起,有着同样的感受,这样的事情是十分重要的。这份心意通过祈祷而连接。我如果是持有相反的立场的话,很多的人只是考虑自己而且活着,能够把自己的鼓励传递过去也是一件很让人鼓舞的事情。伴随着祈祷,大家还带来了一件东西。然后活存在下来的东西会用很多,我祈祷能够看到未来的光。最后想说的是这个专栏可能写得有些长。下一回就是最终回了。在アボコムさん的这个场所能够传达自己的心意的下回就是最终毁了,希望什么时候都不会改变。祝福大家……